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ゲキトーク〜多田×柴×中屋敷〜サイト

日時
2012年3月10日(土) 16:00〜18:00
会場
ぽんプラザホール
パネリスト
多田淳之介(東京デスロック)、柴幸男(ままごと)、中屋敷法仁(柿喰う客)
進行
高崎大志(NPO法人FPAP)

その1 >>その2 >>その3

観客動員と社会的な評価について その2

高崎:お三方とも続けることへの危機感を持っているというのは驚いた。言われたら、たしかにそうだとは思うけど。失敗への危機感というのはありますか?

多田:すごい失敗したらあっさりやめるかもしれない。 変な続け方はしたくない。

中屋敷:多田さんが「いろんなお芝居をみてつまらなくなったら、最後にデスロックを見て下さい」と言っていたのがすごいなと思った。 「まず」じゃなくて「最後に」というのが感動した。演劇の最後の番人というか。

多田:言ったっけ?それに近いようなことは言ったかもしれない。演劇が良くなれば自分たちの活動に影響もあるだろうし。東京の演劇に色々疑問を感じながらやっていたころかも。

中屋敷:自分が青森から上京したときは、演劇をやるために行ったわけじゃない。最初はおもしろい演劇をたくさん観れると思っていった。最初の1ヶ月は色々観ていて面白くなかった。悲しくなって自分で始めた。 青森にいたときには、演劇鑑賞会とか劇団四季とか、ある程度クオリティを保った作品が東京からきていたので、東京にはもっとおもしろいのがあると思っていた。

高崎:先程柴さんの話で出たし、ちょうど時期というのもありますし、岸田國士戯曲賞の話を少し。今年は約30年ぶりに3人受賞でしたね。最近は若い人の受賞が多いなと思いますが、そのあたりどう思いますか?

柴:僕が言うのも変ですが、東京の劇作家ばかりとるのは悔しいですよね。過去に受賞した佃さんは名古屋の人だけど、「中央で発表しないと見てもらえない」とおっしゃってたのが印象に残ってて。僕もそうだったけど、今は上演台本ばかりで、戯曲が活字になる機会もほとんどない。演劇をやるのに東京に行かなくてもいいと思っている。地方でやっていける別の道があると思っていて、今でも名古屋で演劇を続けている人もいるし職業として成立させている人もいる。 僕は東京に行ったパターンというだけ。3本とも東京だったのは、違うようになったらいいのになぁと、単純に思った。

高崎:最終選考になったのも東京の方ばかりでしたね。 東京の賞だなと思うけど、同時に日本を代表する大事な賞。もっとひろがってくれるといいですね。

多田:ここにいる3人はあまり東京が好きじゃなさそうに見えると思う。東京嫌いというわけでもないけど、東京に絶望しているというのに近いと思う。東京が悪いのではなく、自分たちの活動で東京でやるということに疑問をもっているということ。東京に集まって来るべきだと思うところもあるが、地域でもりあがることもあるし、またそれが東京に戻ってくるというふうになればいいと思う。いくつか全国に未来ある劇場がある。鳥の劇場とか。 東京には日本国中から面白いものを持ってきたい。 鳥の劇場(鳥取)と枝光本町商店街アイアンシアター(北九州)も2大地域活動劇場だと思う。活動はそこでしかできないが、作品は持ってこれると思う。人数が多いから競争はあるけど、今は東京は集まってる気になっているだけだと思う。

柴:北九州芸術劇場で作品をつくったり、自分でも仕事していながらいうのもなんですが、他の地域でやっている人が呼ばれるというのもちょっと悔しいです。その地域から作品をつくる人がでてくるのもいいのではないかと思う。街だけで自活できたり、街から別の地域にうちだすことができるようになったり。もしくは、もっと長い期間、住みつかせるとか。今はアーティストの出張。2ヶ月で芝居をつくってバイバイとなるのでもったいないと思う。

中屋敷:自分も今度福岡で芝居をつくるのにこんなこと言うのはあれだけど、「東京は文化レベルが高い」という幻想があるのが不思議。発信力はあるけど受信力は低いと思う。「最先端だ」というけれど、別の最先端を引き寄せる力がないので、東京はつくってばかり・やってばかりだった。 文化が最先端であるなら「わけわからない人も来いよ」みたいに、予算だったり見方だったりの懐が広ければいいのにと思う。
渡辺源四郎商店とか野の上などの劇団が青森にあって、東京でも公演しているが、東京でやると「青森の劇団だよね」ということをずっと言われる。津軽弁以上の内容のことを言えない。
新しい文脈をレッテル貼りするのが得意だけど、それ以上の評価をできてないと思う。

多田:都市部は新しい文脈に対応できない人が多いと思う。例えば演劇観たことない人はそのまますなおに感じる。演劇が好きな人は「こういう作品に似ている」とか「これは演劇じゃない」とかいう見方もできるかもしれない。文脈を持つのはいいけど、文脈の外のものをどういう風に受け取るか、ということがあるかもしれない。

高崎:テレビの影響があるかもしれないですね。そこまでいくと。

多田:たしかにあるかもしれない。 受け身というか。

中屋敷:岸田國士戯曲賞受賞者が東京しか出てないということに加えて、今年の受賞作品は3本とも上演台本で、200人以下の劇場の作品で劇団でつくった作品。僕は夢がないと思う。上演が伴わないと評価されないというのはどうかと思う。 地域にいて、すごい作品を書いている人はどうしたらいいんだろうと思う。自分の劇団がないと作品を観てもらう機会がない、とか。

柴:僕は、小さい劇場で公演された作品が評価されるのは逆に夢があるなと思った。 身近になったというか。

中屋敷:宮藤官九郎の作品が映画化されたりとか、そういうのも演劇少年には夢があると思う。でも最近はそういうのがなくなってきてて、小劇場はだんだんマニアックな作品になっていっていると思う。

高崎:選評で、野田さんが「ドラマ性が強いものもほしい」と書いていた。

柴:というか、今年の岸田國士戯曲賞の話とかして九州の人は面白いですか?いや、自分が高校生で名古屋にいたときは、岸田國士戯曲賞の様子を見ているのは面白かったですけど。

高崎:この前は授賞式がUstream配信もされていたし、Twitterでも騒いでいた。昔と比べて、嫌でも情報ははいってくると思う。やはり目標の1つにはなっていると思う。九州の人の視野にははいっている。昔から動員のある作品はとりづらい傾向はあるようですね。でも、若いアーティストが動員を目指さない、という風になるとよくないかもしれない。

多田:審査員は賞をもらった人たちだから、受賞したらどう変わるかというのは知っている人たち。だから、若い人に賞をあげることの意味については考えているのではと思う。

柴:自分が名古屋で高校生だったとしたら、50人くらいの劇場でやっている人が賞をとったら「僕もがんばろう」と思っただろうと思う。宮藤官九郎さんがとったら「遠いな〜」と思うだろうけど。でも、作品の内容や表現まで小さくなったらいけないと思う。スターを目指さなくてもいいと自分は思っているけど。

多田:演劇という言葉が広すぎて難しい。「絵」というようなもの。漫画でも水彩画でもいろいろある。でも、ジャンル分けが未だにされていないのは、面白いところだと思う。


























































結婚について

高崎:ここでふわっとした話に。結婚についてどう思いますか?

柴:多田さんも中屋敷くんも指輪してますよね。

中屋敷:多田さんと僕は、実は同じ年に結婚してる。演劇の先輩とかと話すと20代前半の若い時にお子さんつくったりしているというのをよく聞く。昔は芸人とかアーティストが稀人(マレビト)としてモラルと別のところにいたけど、今はモラルが求められたり、行動が社会にあたえる影響が大きくなってると思う。だから結婚もするし「結婚しました」って普通に言うんだと思う。

柴:子どもをつくろうっていうのは?自分に子どもができたらと考えると、養えるのかと思う。

多田:結構現実的な問題だからね。何歳で産んで・・・っていうのは。演劇やってても子どもいる人もいるし。大変そうだけどやれるみたいだよ。

中屋敷:いい話しようか?だいたいお金を貯まって社会的に安定したから「結婚しようかな」って思う人ってあんまりいなくない?

多田:俺は芸術監督になったから結婚しようと思った。安定したからというより、きっかけになっただけだけど。

柴:若い時に結婚した方がいいし、早く子どもつくった方がいいとは思っている。どうにかなるとは思うんだけど・・・。

中屋敷:ちなみに、僕は両親が結婚に大賛成だった。「あんたは結婚した方が、もっと演劇にとりくめるよ」と言われた。人間的な成長もあるから、という意味だったと思う。

柴:僕は性格的に言って、1人がいいみたいです。できるだけ自由でありたい。でも、演劇で、自分にも2、3人子どもがいて、自分と一緒にやっている人たちもちゃんと生活していける状況になることが理想。ただ、自分のパーソナリティの問題としても1人じゃないと無理だと思う。

中屋敷:僕は逆もあって。「こいつらでも結婚できるんだ」って思ってほしい。50人キャパの劇場とやるというのとはちょっと違うけど、夢があると思う。





役者について

高崎:役者のことで聞きたい。どういう役者がすごいと思うか? 一緒にやってみたいと思う、というのでもいいですが。

多田:自分の作品を観ているときと、人の作品を観るときで違う。 どちらが多いと思う?

中屋敷:すごい瞬間は自分の作品の稽古場の方があると思う。料理でもそうだけど、厨房の方が絶対おいしいものを食べてると思う。だけど、お客さんに出す時にはコストとかで削ったりしている部分もあると思うので。

多田:我々は純粋な観客ではない、というのもあるかも。僕も稽古場の方が多いと思う。あとはワークショップとか、作っている現場。でも、本番で人間のすごさを痛感することもある。

柴:僕は逆で、人の作品を見た時のほうが多いかも、自分のときは余裕なくて「すごいな」とか思ってられない。変な音だすとか、 「よくこんな音を出せるな」と思う人はすごい。演技の、音の震え。厨房ですごいと思うってどういうとき?

多田:自分の頭の中で考えていることを超えてくる人はすごいと思う。基本的に立っているだけで面白い人が好き。

中屋敷:いい話していいですか?(笑 )去年劇団でやった新人オーディションの時のこと。セリフを言ってもらってたんだけど、セリフを言う直前の息を吸った瞬間をみていた。そのオーディションで決まった人は、息をいつ吸ったかわからない人だった。「台詞をいいますよ」とわかるような呼吸をするのは素人。観る-観られるというバリアをはずしてくる人がすごいと思う。いつはじめたかわからない人、その空気を支配できちゃう役者がすごいと思う。

柴:『魔笛(仮)』という今年上演する音楽劇の出演者オーディションをやって、120人と会った。オーディションの時点では歌とダンスと芝居のどれが主体になるかとか、作品の内容はまだ決まってないから、どのくらい歌ったり踊ったりするのかが決まってない。 120人全員観るのが大変だったので「3分間、得意なことをやってください」というオーディションにしてた。何を持って来ていても、たいていは途中でとめて歌ったり踊ったり別のことをしてみてもらったんですが、こちらに「もういいですよ」といわせず、3分持たせた人もいた。
バレエや日舞や声楽と違って、すぐに鍛錬の成果を見せられないので、芝居だけで見せるというのは大変なことだとその時に思った。何もないところで芝居で3分持たせられた人が1人だけいた。その人が演技しているのをずっと見ていられるというのがすごいと思った。

中屋敷:多田さんの「立ってるだけでおもしろい」っていうのは?

多田:台詞は技術なので、うまいのは当然だけど、プラスで何があるかは、体が何を発してくれているかになる。技術の裏付けもあるかもしれないけど、経験とかもでると思う。自分の体を舞台にどう置くかというのが大事だと思う。 オーディションでは、座っている状態から立つという瞬間だけを見たりすることも。
木ノ下歌舞伎という劇団で杉原邦生くんがやったオーディションの時、しゃべらずに2人だけベンチに座って、演出家が指示を出していくというのをしてたけど、 最後まで演出家がなにも言わない組が1組だけいた。だまって2人が座ってる、それだけで見れるというような。 舞台上にいる技術がある2人だった。
見ているこちらの世界も変わった。 その2人は「何かあるぞ」というのを感じさせる力があるんだと思う。 そういう人はすごいと思う。

柴:「劇をつくれる人」っていうことなのかも。高校演劇の審査員を今年初めてやった。自分の作品をつくっていても思うが、役者に劇的なものが内在していないと、台詞にならない、劇にならない。「劇」を台詞でつくれるかが劇作家の境だし、1人だけで劇の時間をつくれるかというのも俳優として重要なんだと思う。

中屋敷:学生時代に役者として出演していたときに出番が多い役で喜んでいたら、演出家から「一番お前が下手だから出番とセリフが多い。うまい人の出番が多すぎたらバランス壊れるからだめ」と言われた。方便だとも思うが、真もついていると感じた。自分は演劇を料理にたとえるが、まずい料理は大盛りにしません?自信あるのは少量で。 自分は日本の観客の中で一番笑うし泣く観客だと思う。でも映画はそうじゃない。バレエ・オペラ・歌舞伎など生身の人間がやるものには何かしら感動する瞬間がある。 たまに、ナマではないものがあって、それは震えたりする(悪い意味で)。 表現をやる前に表現を愛していない人を見るとびっくりする。

多田:自分の趣味に合わないときは趣味に合わないと思うが、「演劇LOVE」だから、無駄な時間だとは思わない。以前、本当に面白くないと思ったシェイクスピア作品の公演で、 休憩中にトイレにいく時に、「シェイクスピアつまんないね」と言っているカップルがいた。自分がおもしろくないと思っても他の人が楽しんでいるならそれでもいいが、2人に「シェイクスピアはおもしろくない」と思わせた罪は重いと思った。 シェイクスピアへの愛がたりなかったんではないかと思う。

中屋敷:シェイクスピアは僕もやっているが、自分のことはいくらボロクソに言われてもいいが、シェイクスピアのことを言われると、「汚名をそそぎきれない!」と思う。おもしろくないのは僕が悪いのであって。

多田:何かの作品を観て一番いいのはそのお客さんが「他の作品も観てみよう」と思うことだと思う。その逆がよくない。

中屋敷:いつも思うのは、 「観劇人口を増やそう」と言っている人に限って演劇観に行ってないようにみえるのが不思議。矛盾しているだろうと思う。リサーチとはいわないが、観てもらうためにも観た方がいいだろうと思う。作り手と観客の齟齬を思う。

多田:シアターコクーンとかで観劇すると、こまばアゴラ劇場には一生来ないだろう、という層も観劇している。それが日本の現状だと思う。それをどうしていくのがいいのかな、と思う。

中屋敷:最初の方にも言ったけれど、小さい劇場の作品を観る人も大きい劇場の作品を観る人もクロスできるヒントがあればいいと思う。例えば「シェイクスピア」という共通項だったり。シェイクスピアでいうと、シェイクスピアオタクという層がいて、オタク同士でしゃべりたいのでどこでやってようと観に行く。というのがあると思う。

高崎:役者、というのはクロスできる要素の1つであると思う。小劇場の役者さんが、今テレビや映画に出ているというのもあり。

多田:そうですね。観に行くきっかけになりますね。








































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主催・協力等

主催:NPO法人FPAP
後援:九州地域演劇協議会
助成:(財)福岡県教育文化奨学財団


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