関連企画

パネルトーク1 福岡の歴史を繋ぐ ~私の好きな劇場~

演劇祭関連企画第1弾! 現在を軸とした追憶のパネルトーク
福岡の劇場をキーワードに、過去40年を振り返るパネルトークです。
福岡で演劇活動を行っている演劇関係者をパネリストとして迎え、思い入れのある劇場について語り合いました。
当日のトークの内容を公開しています。

6月19日
17:00 ~ 20:30
第1部:劇団設立10年以内・前後の世代によるパネルトーク
>>議事録
第2部:劇団設立10年以上の世代によるパネルトーク
>>議事録
第3部:劇団設立20年以上の世代によるパネルトーク
>>議事録
6月20日
17:00 ~ 19:00
福岡の歴史をつなぐパネルトーク
>>議事録

概要レポート

6月20日 17:00 ~ 19:00
第4部:福岡の歴史をつなぐパネルトーク

時間帯
17:00 ~ 19:00
パネリスト
榎本史郎 (劇団えのき岳遊劇隊)、荒巻久登 (有限会社シーニック)、仲谷一志 (劇団ショーマンシップ)、佐藤順一 (演戯集団ばぁくう)
司会
柴山麻妃
まず最初に、1日目のパネルトークの感想からスタートしました。パネリストのみなさんには、ご自分の出演する部以外のパネルトークを、客席で聞いていただいていました。

柴山:みなさんこんにちは。では、第4部、福岡の歴史をつなぐパネルトークを始めたいと思います。昨日も3つ、世代間に応じてパネルトークを進めてきたわけですけども、昨日の感想などお聞かせいただければと思います。じゃあ、若い世代から、ということで。


榎本:僕ら順番的にも、一番最初に、結成十年前後の劇団からということで話させていただいたんですけど。やっぱり自分たちでしゃべってる時に、まあこう一生懸命思ったことを話したといった感じだったんですが、その後先輩たちの世代のお話を聞かせていただいて、すごいなあと思ったところが多々ありまして。経験してない部分を先に聞かせてもらえるっていうのが、すごく嬉しかったということと、僕がお芝居を始めようと思ったときに、すごい熱量をもってされていた人たちが、今もその熱量を失ってないんだな、楽しそうな空間がずっとそこにあるんだなっていうのを、改めて見せてもらったって感じで。しゃべっていても、聞いていても楽しかったなという印象を受けました。


荒巻:はい。僕は照明を主にやっていて、裏方なんですけども。各世代の方と今でもお仕事でお付き合いがあったり、昔お世話になったりとかっていうことで、ずっと普段から、各世代のお芝居なり、やり方なりっていうのを観てきているつもりだったんですけども。昨日、やっぱり特に3部の先輩ですね。ホール、劇場とかを持って、実際やってこられた方っていうのの重さっていうか、そういうのはすごく感じましたね。


仲谷:僕はどっちかっていうと、佐藤さん石川先生の世代を、ちょっと若い世代からだけど見てた世代で、それが反面教師みたいなところもあって。そうでない演劇活動と思いながらいざ自分が初めて10年超え15年超え20年経っていくと、そういう風になりつつあったりとか、なぜあの頃先生方がそういうような指導をしていたかだとか、劇団をしてたかっていうのを、昨日あたりそれをすごく再認識したというか。石川先生には憧れるけども、石川先生にはなりたくないなぁと言う。でも憧れは、すごい憧れますね。


柴山:色んな意味で迫力がおありになる。


仲谷:ええ。


佐藤:まあ石川さんはもうね、芝居をやって40・・・50年近くなるはずですから。だから、少なくとも、今もまだ続けてるってことでしょうね。ああいう人が昔はいっぱいいて。今、昨日の1部2部の方々のお話を聞いてて「あーしっかりしてるなぁー、えらいなぁー」って思いながら聞いてたんですけど。いいか悪いかは別ですけど、表現の世界って、まあ素が出るといいましょうか、生身が出るといいましょうか、生活が出るといいましょうか。そういうところを見事にあの歳でまだ、ああいう風に生きていけるわけですから、だから、勇気を持って芝居をね、続けていかれることを、おすすめします。で、ああいう風になったらいいよね。
でも、昨日1部2部の方々をみていて、これから芝居を続けていく改たな一面性として交流できたことは幸いと思いましたね。


柴山:しっかりしてる、と佐藤さんは仰ったんですけど、どういう点でしっかりしていると…


佐藤:やっぱりいろんな条件を考えて、公演をしてるってことかな。
僕らは思いだけでやってきたから、「やりたい、とにかくやりたい」と。
お客様がどうしたら僕らを支持してくれるだろうってことに、全精力を注ぐ。そのためにお金のことを考えなかったし、こんなことやっちゃ先輩からしかられるってことも考えなかったし、ルールって事も考えなかったし、ただ、それは思い知らされていくわけですけどね。
今の人は、そういうことを踏まえた中で、なんとか頑張っていきたいという情熱、そういう知的情熱さを感じますね。
だからうまくいけば、安全な道に進む。ちょっとだけど、守りに入ってしまうと、小さくなってしまう。
本なんか読んでいてもそういう気がするんですよね。なんか非常に小さい世界だ。
だから芝居も小さくなってるんじゃないかなー、なんて・・・みてないくせに思っちゃってるところがある。だから、今後だから見せてよ。


仲谷:佐藤さん、昨日の佐藤さんの発言で僕納得したり、気になったりしたんですけど。最近若い劇団の芝居をみてないっていうのは、意図的にっていう。


佐藤:あのね、石川さんがいないんで、石川さんの立場から言うと、「おもしろくないなー」とか、「独りよがりだなー」とか、「これ楽屋オチだな」とか、そんなことを感じてた時代があったんですね。で、観てて、なんにもつまんないのに、お客さんが喜んでたりするのを見た時に、「このお客さんたちは、あ、お仲間なんだ」と思った時に、作品よりも、ちょっと目立つクラスメイトがそこで人を笑わすために、突拍子もない事を、さもストーリーの中にのっかったが如く、やってる現象?つまり、宴会芸ってことかね、そういうものを観させられて、これが演劇だと言われた時に、「うーん、つまんない。」と思って。そういうことが何度か続いて、もう観なくていいなって。


仲谷:それは佐藤さんがさっきおっしゃてた、危険な部分の方ですよね?そうでない良い部分もあるとは思うんですけど。


佐藤:ええ、でしょうね。


仲谷:たとえば我々の世代でいくと、お芝居の本の方とか、アドリブで、コマーシャルネタとか、テレビネタだとかはありえなかったでしょう?


佐藤:ありえなかったですね。


仲谷:ありえなかった。でもそれをやっぱり時事ネタとして、たとえば昨日ワールドカップで日本が負けたら、もう今日の本番でそれをぼーんと入れるという、作品的ものが、当然もうここ15年20年くらいでどんどん福岡の若い劇団の作品にも影響してますよね。


佐藤:それはね、昔からあったのはあったんですよね。時事ネタって言う点で言えばね。例えば今、ザ・ニュースペーパーというグループがやっているような。あの人たち、芝居してるじゃないですか。そういう風なものって、結構あったのはあったんですけど、それをただ脈絡もなく、それから人間の生活感として落とし込むってすごい大変難しいことで。


柴山:それは風刺になってないとか


佐藤:そういうことですね。例えば「この人がこんなこと言ってもしょうがないだろう、この流れの中で言うのは、君が目立ちたいだけだろう」みたいな入れ方って結構平気でやってるところがありますから。やっぱり、この役の人が言うから意味があるとかいうことって、非常に考えられてたわけですよね、昔は。だから、そういうことが、何も考えずに、ただおもしろいから・刺激的だから、ということだけで入れていくいものが非常に多いという気はしますね。だから、もっと知的でなければいけないわけですよね。計算されてない感じ。作品を書く時点から、作家って苦しいから、上演に間に合わせて書くじゃないですか。そうすると、やっと上演に間に合ったみたいな本って、多いんだろうなって気がするんですよ、眺めてて。現実はどうかわからない。榎本さんとかどうなんですか、そのあたり。


榎本:僕自身は、作品ができてから、準備に取り掛かるので、追いつかないってことはないんですけど。その分その、僕の劇団にいるメンバーたちが、やっぱり同じ世代の他の劇団に行ってみてっていうことがあると、「本番のちょっと前くらいに台本が全部できてきたんですよ」と。うちのやり方でやってると、どうしても台詞が覚えられないと。ぎりぎりなので、もう覚えることで精いっぱいてところもあるしですね。あと、先ほどお話してもらった、時事ネタってことに関しても、お客さんと空気を共有するために、その場の人が、まあ分かりやすくっていう感覚と、全員が知ってることを言うっていうのが、イコールになっている考え方をしてしまうっていうのが出ているんじゃないかなと思います。


佐藤:ライブだから、生だから、当然その一体感みたいなもって求めるところにあると思うんだ。だからそういうものに、時事ネタだったりというのが、生まれてくるっていうのは、もう当然明治大正からあったわけですから、だから、そういうことってありうる。だけどそれを、有効に使うには、やっぱり知的な努力が必要なわけですよ。計算と言いましょうか。そういうふうなことまで考えてやる暇ってないし、考えてやってるとも思えないし、考えてやるだけの弱い本であるならば、どうしようもないし。あの、完成された台本の中で、そういう行動ができるかっていうことが、ライブだと思うんですよ。ところがそうではなくって、はなからそれに頼っちゃってるのはつまんないよね。だから、オリジナルっていうのが、書き方のレベルがやっぱりそこどまりなのか、ていう風な作品に、結構僕が出会ったってことでしょうな。


荒巻:ちょうど世代でいうと、僕らが若い時はいわゆる小劇場ブームみたいな、野田秀樹とか鴻上尚史とかっていうのが台頭して、その波がこの福岡にも押し寄せてきて、「演劇は自由だ」みたいな、今ここをやってて、次まったく違う空間にいきなり飛んでもそれは自由なんだっていうのが、ちょっと曲げて、都合良くみんな解釈しちゃってた、時代ではありましたね。


佐藤:そんな気がしますね。だから、放送作家なんかと話すとね、「映画、まだドラマは書けるけど、舞台の脚本は書けない」っていうわけよ。「演劇空間って言うのは、限られた空間だから、時空を飛ばすとか、そういうことができないじゃないか。」と。ところが、最近の演劇って、映画より自由なんですよね。ヘタするとアニメより自由。どんどん飛んでいっちゃう。空間を飛んでいっちゃう。でも、放送作家、と話すと、「いや~、難しいよ。だって限られた空間の中で、人間が動いていかなきゃいけない。それではやっぱり語りきれないよ」ということを良く聞く。物語が生まれにくい、だから難しいと。「でも今平気でやってるよと。だからそんなこと考えずにちょっといっぺん書いてごらんよ」みたいな話をするんだけど、その観念があるわけですよ。ところがじゃあ演劇やってる僕らはどうやってるかっていうと、その場というものさほど大事にしてないわけですよ。人間と人間が存在する場というものよりも、想いの方がどんどん移っていく。ようするに、思考がどんどん飛んでいくことに作品の書き方が変わってきたみたいなことってないですか。


柴山:ごめんなさい、もうちょっと詳しく。


佐藤:戯曲が、場があって人間がそこで生活し、そこでうごめき、葛藤するという物語性じゃなくて、人間の想いが浮遊していくっていうか、人間の思いだけがどんどんどんどん移って行く、それを時として、宇宙から見ている自分がいたり、床の下から覗きだす自分がいたり、床の下に自分の寝床があったりとかいうことを、平気でぽんぽんぽんぽん変えていくっていうとか、心の中にすっと入って、人間が入ってくるとか。そんなことを舞台空間で平気でやっていく。だから、観る方ってすごく大変じゃないですか、それって。あのね、それがダメだって言ってるんじゃないですよ。ダメだって言ってるんじゃない。そっちの方向に簡単に、書き手の想いだけで、物語を都合良く進めてしまう。


柴山:必然性がないってことですか?


佐藤:うんうんうん。そんなことを平気でやっていって、つじつま合わせを何とかしようとするっていうホンが非常に多かった。


仲谷:それは、我々ぐらいの世代は、演劇のカテゴリーとして、まあ佐藤さんが出してあります不条理劇だったり、僕らで言うと、テアトルハカタっていう昔の劇団はもう、新劇でリアリズム演劇っていうジャンルがあって、それから小劇場ブームという。そのまえにアンダーグラウンドな演劇があって、カテゴリが分かれていて、で、好きなものをやっていたとか、師匠がそうだからやっていたとか、そこに反面教師でって違うジャンルにいったとかあったと思うんですが、今福岡の演劇シーンをみていると、そのカテゴリの中に自分がどこを生きているではなくて、今なんとなく横で広がっている演劇というのが、さっき荒巻さんが言った以降の演劇で仕組みを譲ってきていると。というところが、佐藤さんあたりから見ると、今の戯曲の在り方とか、つくり方の、問題点にうつるのではなかろうかと。


柴山:私はやる側ではなくて、観る側、もう本当に観ているだけなんですけど。日本の演劇の流れから言うと、今そういう「ジャンル」がはたしてあるのかっていうのは一つあると思うんですが、それと同時に、佐藤さんが言っていることを、私なりに解釈すると、私は例えば、時空が飛ぶだとか、不思議なちょっと理解できないようなことが起こるっていうのは演劇の創造力でうまくいけばありうることだとは思うんです。けど、ひょっとしたらそれに、肉体がついてきてないかなっていうことは思うんですね。やっぱり肉体があって始めて生の演劇なわけですね。映画とは違う他のメディアを通したものではないっていうのは、そこに肉体があるってことで。先ほど、想いだけで進めてるっていうのは、その存在があるということを無視して言葉だけにはしってるってことなのかなって思ったんですけど。


榎本:僕らが台本を書くときに、ジャンルっていう話になると、ほんとまた別のカテゴリを作ってもらわないといけないくらい、違うものをやっていると思うんですよ。だから、戯曲って言葉が、僕らが書く台本に適用されるのかってのはちょっとわからないなとも思うんですけど。身近なところの芝居でも、僕たちの世代、またそれ以降の人たちが、一番身近に観てるのは映画だったりテレビだったり、マンガだったり、そういう部分が大きかったと思うんですね。そうなると、影響されるところっていうのも、そういったところからになってくる。または、すぐに場面が変わっても、対応してしまう自分たちが、それを「急に飛んだ」と思えなくなってる。「人から見ると急に飛んだように思えるんだけど、自分たちの中ではそれは繋がっているんです」と。「ただ一個スイッチ変えただけですよ」っていうので、解釈できてしまうような人たちになってきているのかなっていうことですね。


柴山:ああ。大げさな言い方をすれば、仮想現実の中で半分生きてるようなもの。


榎本:そういうところもあるかなという気持ちはありますね。あと、人同士のコミュニケーションって、絶対に前の世代の人たちの方があると思うんですよ、絶対的に。なので、稽古で言えば、前の世代の人たちとか、僕がそういったところに参加させてもらった時なんかは、稽古が終ったあとも、稽古が続いてるって言うか、人間同士の関係が続いてて、そのまま飲み会行ったりとか、お店が閉まったらその中のキャストの誰かの家に行って家で飲んで、翌日朝になってもまだ飲んでて、「あ、もう稽古の時間じゃないか」みたいなこともあったはずなんですよ。でも、やっぱり若い人たちってのは、稽古場に来て、「じゃあ稽古しましょう。」で、「はい、じゃあ終わりました。帰りましょう」って言う感じで、その場でしかコミュニケーションがなかったりとか。続きってのがないんですよね。だから稽古して、本番が来てっていう。行儀がいい様な感じとかいう言い方をすればそうなのかもしれないんですけど。その分人間味って言うのが薄れてるかもしれないので、そういったものが脚本だったりと作品だったり、また実際に演じてる人たちの役者さん同士の兼ね合いのやり取りなんかにも出てるんじゃないかなっていう気はしますね。


柴山:荒巻さんは、まあ、そういう意味では割とこう世代間を超えたお芝居をご覧になっていると思うんですが。


荒巻:うん、なんか、時代とかって言うと、ツールというか、色んなものが普段の生活で増えて来ているので、それでお芝居のあり方は確かに変わってきてるってところは、実際あるかもしれないですよね。さっきの話で言うと、ある劇団とかは稽古終って、稽古場のロビーとかちょっと出たところとかで集まって話すとかも無しで、「あとでみんなメールでダメ出しするから」とか、そういうのも実際あったりするんですよ。「もう夜も遅いから、時間もないから、メール送るよ。」って。だから、あり方自体も変わった部分もあるかもしれないですね。


仲谷:それこそ昔は稽古が終わって、稽古場のダメ出しじゃなくて、石川先生とか演出家とかがさ、お酒を稽古場で飲み始めて、そこからがほんとのダメ出しでしたね。


佐藤:そうですね。


仲谷:稽古場についてで、率直に世代間越えて聞きたいのは。僕自身の経験では、稽古場は、演出家がイニシアチブをとって、演出席のテーブルがあってお茶があって横に記録の人がいて、かなり演出家主導の稽古場だったんですね。いま実は甘棠館も10周年で、「アームストロングコンプレックス」って、甘棠館で旗揚げした劇団のメンバーと一緒に稽古をやってて。するともう演出家も作家も同じところに膝抱えて車座になって稽古してるって稽古場があって。それはなんでかって考えると、僕らがやっていた演劇活動って言うのは、主催者が演出家の場合が多くて。つまり師匠で、そういう構図の中で演劇が作られていたんですけど、最近の劇団は同じ世代が、例えば高校の演劇部出身だったり、大学の演劇部出身だったりすると、同世代の中のディスカッションの中で作られていくなと。それの良さみたいなところも感じるし、一方では、その中の危険性みたいなものも感じたりとかして。


柴山:ただ、仲谷さんのすぐ後ぐらいの世代からは、もうほとんどその高校演劇からとかじゃないですかね?


荒巻:そうですね。そういうのが、パターンというのが散在する。


柴山:そうですよね。


仲谷:稽古場とかはどうなんですか?


榎本:うちは、僕がもう36になるんですけど、その下がまだ30になってないんですよ。なので、僕が作・演出をやってるのでその辺での、まあなれ合い的なものも少ないとは思うんですが。他の団体さんやっぱ見ると、同じ歳の人たちでってなると、当然意見の言いやすさって面があるにしても、まあ一緒にやってる仲間って意識で団体が成立してるっていう部分もあると思いますし、絶対的な演出の人っていうのが、いるっていう団体っていうのを僕は福岡ではみたことがないですね。夢工房さんのとこに僕が参加させてもらった時に、石川先生が入ってきた瞬間に空気が変わるっていう感じを、肌で感じ取った事はあるんですが、「なんだ代表まだ来てないの」っていうぐらいの感じの雰囲気の方が、僕ら世代とか、以降の人たちっていうのはあるんじゃないかなとは思います。


柴山:ずいぶん上の世代の方でも大学演劇のサークルからとか、多いんですよね?福岡でもあったと思うんですが、そういったところでもやっぱり演出家って絶対だったんですか?


佐藤:やっぱりそのグループの指標みたいなものですよね。だから、芝居を作るにしろ、芝居を作る時に、演出家はやっぱり絶対的な位置ですよね。基本的に言えばね。だから、その分劇団と言うスタイルはもっと明確にあったでしょうね。だから、現代劇場さんなんかも、その、大学の演劇からだから、もう絶対的なイニシアチブを持った人がね。その形じゃないとやっぱり一つの運動ができないというところがありましたからね。昔は特にね。


柴山:そうですね。


佐藤:だから学生演劇が職場演劇になっていく過程でも結局そうですよね。 イデオロギーというか思想が根っこのところにあるわけですから。


柴山:伝えたいものがあるという形ですよね。  


仲谷:劇団は活動体としての劇団というような意味づけがありましたからね。


佐藤:やっぱりテアトルさんなんかにしてみれば、結局ノジ先生がもっている演劇のすべての知識を受け継いでいくっていう一つの運動体でもあった、というわけなんですよね。だからそういう意味ではもっと濃厚だろうとは思いますけど。それがどこの劇団もだぶっていなければ、劇団としての存続理由がむしろない。 というものではあるでしょうね。


柴山:お話を伺っていると、だんだん形態が、劇団のあり方自体がかわってきたとみていいんですか?どうですかね?


荒巻:やっぱり、日本のお芝居のうねり、というところが多分、すごく大きかったんだと思う。


佐藤:それともう一つは、タレント化だと思います。 演劇をやる役者であろうとするのかそれとも演劇を好きなタレントでいたいのか。 タレントって英語で言うタレントではなくて放送業界用のタレントという意味ですね。そういうタレントでいたいというような部分ってあるんじゃはないだろうか、と思いますね。


仲谷:だから、僕がテレビのレポーターをやり始めた頃は、劇団の先輩に「お前そんなことやったら芸が乱れるぞ」といわれましたね。


佐藤:荒れるとかね(笑)


仲谷:そう、荒れるとか。「テレビとかラジオとかはやるんじゃないんだ」と。
ただ、まあちょっと話は戻っちゃうんですけど。そういえば僕はテアトルハカタという劇団で勉強させて頂いていた頃に「ノジリズム」という考え方がありました。ノジリの考え方。我々がやっている演劇は歌舞伎と違って形の継承ができないから、考え方を継承していくんだ、と。演劇を通して物の捉え方・生き方・考えを継承していくんだと。だからノジリズムを勉強しておけば他のジャンルにも通用するんだ、と。
で僕は21歳くらいからテレビのレポーターやラジオ番組のパーソナリティーをやりはじめて、自分の中での正当化は、佐藤さんのおっしゃったタレントという部分とはちょっと違うニュアンスで、出演するということを生業とするというカテゴリー・色づけの中で・・・


柴山:使い分けということですかね。


仲谷:使い分け?


柴山:そうじゃない部分と、タレントという部分と、っていう。


仲谷:んー、ただタレントっていっていて、誰でもタレントですからね。テレビに出てしまって、ラジオに出てしまうと。文化人でもスポーツの世界の人でも政治家でもその枠組みの中にいてはみんな同じ様に扱われるというのはメディアの怖さであるし、それを子どもの頃からわりと知っていたから、自分は何者であるかって主張するよりも「そこに乗っかっちゃったらタレントという見方をされている」と思ってやり続けてきた所はあるんですよね。ただ問題は、テレビとかラジオとかに僕だったり高橋哲郎君だったりがでてくると「あ、そういう食べ方があるんだ」とか。「演劇をやっているとそういう事に出会えるんだ」という。ひょっとしたらある世代は演劇をひとつの踏み台というか。漫才を踏み台としてタレントになっていくような福岡で演劇活動をすることがテレビに出れることメディアに出れること、みたいな空気がある世代から話していると感じたり。


柴山:どうですか


榎本:目的意識っていうのはあると思うんですけど、ほんとに僕らの世代とかでやってる人たちで最終的にどうなりたいのかっていう話になると、じゃぁ最終的にはテレビに出たいとか芸能人になりたいんだとか、そのために専門学校とかプロダクションに入っていてその授業の一環でお芝居やっててお芝居がおもしろかったから劇団に入って劇団作ってとか、そういう人たちも多くいるんですよね。そうなるとたぶんその先代の人たちが作っていってた劇団だったりとかっていうつくりとかこういうことをやるためにやるんだという目的意識っていうのは多分別のものになっていると思うんですよね。


荒巻:昔みたいに、といったらあれですけど、団体として強烈に発信していく力というか、そういうイメージとか集まりの力みたいなものは、それ自体は若干薄れている気はします。


佐藤:やっぱりそれが時代なんでしょうね。いち役者として考えた時にこの母体を使ってこの体使ってこのルックスで、でこの声で表現をする。まあ表現者という言い方をすれば、そのことを極めたいんと思うわけなんですよね。で、仲谷さんもきっとそういうことなんだと思う。そのベースになにがあるのかというと、彼の場合はテアトルハカタから今現在の劇団ショーマンシップまで、そういう演劇の舞台が根っこにある。その延長線上にあるということって非常に大きいわけですよね。で還るところはどこなのかというとそこの根っこに還るわけですよ。常に、毎日。そのことから、そこからラジオのパーソナリティーをやり、お祭りの司会をやり・・・ということだろうと思われるんですね。そのことって実は大きくて、根っこがない状態で演劇をやる時に、「専門学校行って卒業公演やったら演劇がいいもんだと思ったので、気の合う仲間もいるから自分達で好きなものやってみたいね」と舞台をつくってみても、それから、どうしたって学ばなければならないことってあるわけですよ。僕にしても、仲谷氏にしてもきっとやっぱり演劇史であったり、古典だったりセリフ術であったり、もっといけばブレヒトだったり、演劇論だったり、といういことにならざるおえない。どうしてもついていかなければいけない。読まなきゃいけない。どういうものがあるか。自分がこれから役者としてステップアップしていくためにはこういうこと勉強しないといけない。先輩から教わった「あえいうえおあお・・・」なんて腹へこへこやってやるような発声じゃとても台詞はしゃべれないということを。先輩から教えてもらうことがすべてだと思って「あえいう・・・」なんてやってるわけですよね。それじゃあ舞台では通用しないわけですよ。ある時期ある本をやってしまうと、訓練の仕方が違ってたということを。長く続けていくと、20年も30年も芝居をやっていくと、それだけのものを自分の中に身につけていなければ意味がないわけですよ、続けて行く意味が。次のステップアップがみえないですね。そうなった時に必ずそこに行きあたる。そういう風にして生きていく、そのことを考えて生き続けていくと、ずっと演劇の事を考えて生きていかなければいけなくなる。そのことなんですよね。実は。


柴山:昨日もおっしゃってましたよね、その一つはまぁ古典という点ともう一つはあのほんとに終り間際にでた技術というか技というか。今の話はまさにそこに通じると思うんですけど如何ですかね、その辺の感じは。


榎本:「古典はやらない」とかではなくて、怖くて手が出せないという人たちもいるんだと思うんです。「古典はあまり好きじゃない」という人も、もちろんいるとは思うんですけど。 自分達の技術がそこに伴わないから、自分達でいい作品をつくりたいと。「自分達がめいっぱいできるものはこういうものなんだ」というもので、1回目2回目って脚本でも自分達でもそれなりに面白いものって出せると思うんですよ。やっぱりエネルギーが違うからですね。でも本当にそれを続けていくうちにだんだん「あれ、でもこれとりあえずやんなきゃいけないし公演打ってからこれくらい経つし、もうそろそろやらなきゃいけないな」とかそういう感じで自分でも無理やり書いてるっていうようなことに陥っている団体もあって。そこからばらばらになったり、また違う人たちで集まってまた一からってやったりとかいう感じで、ついたり離れたりのが繰り返されているような感じがするなとは僕は思います。


佐藤:そういうことで劇団数の増減とかが出てくるんだろうと思うんですよね。それはそれで面白いとはおもいます。外から見てて。だけど結局理想的にいえばどうなんだろう。僕らはどうやっていきたいのかなと思った時に、役者という職業で生きていきたいと思った時に、「なぜそうなっていくことを受け入れなきゃいかんのか」と思うと、結局戻るものがないんだろうけど。さっきの言葉で言えばね。やっぱり歴史だったり演劇の歴史だったり、日本の学校演劇とか職場演劇とか、そんなルーツみたいなものってあんまり楽しいものでもないし、あまりたいして影響を受けるわけではないのだけれど、そのことがあったということは知るのと知らないのとでは大きく違うだろうと。でやっぱり、古典が100年150年残って。シェイクスピアなんかでいくと、もっとですね、400年500年近くになろうとしている。そういうものが残っているということはそれだけの魅力が一からあるわけですよね。それだけのものをずっと連綿とやってきた、ものがある。そこに、なぜだろうと思う事って大事なことかもしれない。作劇としてみてもそうですよね。僕はある劇作をしている若い人に「この本読んでご覧よ」って渡したことがある。2週間くらい経ってまた偶然会って、「読んだ?」っていったら、「いや、僕本読むの苦手なんですよね」って言う言葉が返ってきて。それが作・演出家で劇団代表で。それを聞いた時に、それはどうにもならんだろうって。役者やるのに本読むのが嫌いじゃどうにもならないし、本書いて演出もやるのに本読むのが苦手なんですよねと言われた日には何も言い返せない。なんかね、それに愕然としてね、で僕は、なんかもういいかなと思って「あ、そう」って言ってそのままお別れしたんだけど・・・。


榎本:僕らが、恵まれた状況で始められるという感情があるのでどうしてもそういう風な人たちが増えるっていうのはあると思うんですけど。ホールにしてもそうなんですけど、やっぱり自分達でその場所を確保しようってされてた時代の人たちと、もう最初から便利に使える所・ある程度お金を出せばいいという時代の人では違いが。頭でっかちになっていて、制作の部分分もやらなければいけないというのはわかってて、とにかくお客さんを入れることで、というような計算を始めた。もう「とにかくやるんだぜ」というだけではなくて、お客さんが動くことも考え始めるような団体も増えているんですよね。そうなると当然照明とか音響なんかも自分達の劇団でできなくても頼めばやってくれる人たちがいる、と。でそのためにはお金を払わないといけない。「じゃあ自分達でお金は貯めておこう。」あるいは「お客さんがこれだけ入ればいい」という計算ができちゃう。ホールも、「ここに行けばこれくらいで借りれる。稽古場もなかったら別に公園でいいや」とか、「この期間この施設借りれるし」という人たちもいると思うんですよ。で、やり易いが故に、やることの難しさとかがわからないまま出来ちゃうんで「これでいいんだ、これが正解なんだ」って思ってしまうような状況が僕らの世代にはあると思うんですよ。


仲谷:だから佐藤さんが言っていた覚悟みたいなものの話になると思うんですけど、我々が芝居をやろうと思ったら、もう普通の人ではなくなってしまうんだ、という。普通の生活はもうできなくなってしまうんだという覚悟をもって両足を全部つっこまないと演劇活動はできなかった世代ですね。


柴山:お話伺っていると目指しているというかやりたいことが違うんだろうなと思うんですよね。おっしゃっているようなものと、できちゃうから形を作ってしまうという、そこの違いがすごく感じられるんですよね。あの、きれいにみせちゃうのは、「自分をみせたい・かっこよくみせたい」、おそらくその昔の方だってそれはかっこよくみせたいというのはあったと思いますけど。でもかっこよくみせるためにどうするか、ハードを揃えるか、というのと、そうではなくてじゃあソフトを揃えて自分を鍛えようとかそういうところに発するか。そう違いがちょっと見えた気がするんですけどどうですかね?


仲谷:それもあるとは思うんですけど・・・役者をやって食えなかったらヒモになれと(笑)
あれは僕ら本当にいわれていましたからね。「アルバイトをすることは罪だぞ。」と。だから普通に社会性をもったまま演劇はできないと思わせていました。


柴山:人生を芝居に捨てる・・みたいな(笑)


佐藤:ちょっとおかしい人たちの集まりだなと(笑)


荒巻:そう考えるとやっぱり今の人たちはちゃんと考えている。社会性もあるし。


仲谷:お金がない人も持ってますからね。僕ら「ない」っていうとほんとになかったですからね(笑)
でもそこに対して僕は反発もあって、演劇だけやっていたら世の中のこと全く知らないわけですよ。それこそプロスポーツに興味があるわけでもない、他に興味があるわけでもない、今流行っているタレントさんの名前も知らないっていう状況の中で、劇団の若手って言うのは全部そこにつっこんでましたから。僕自身は反発もあって、前いた劇団を離れてからは、やっぱり俳優中心に、とかきちんと社会の事も知った上で活動を行っていく、とかっていうふうに流れていってはいるんですけどね。ただ勉強している時はそんな環境でしたね。


佐藤:ばあくうという団体を作ったのは「九州・福岡はこれだけの都市になった。ならばここに、一見不必要だと、世間のダニみたいにいわれている、親からはそんな生き方って止められるような役者という職業がきちんとあっていいんじゃないか」と思って。僕はもう自分の中で演劇で生きていこうと思っていましたから。演劇を大事にするためにも僕がちゃんとしなければいけない。今までみたいに親から「そんなやくざな商売」っていわれるような職業じゃない形に作りたい。そういうのはもう可能だろうと思ったのが22年前です。で、ばあくうは職業役者の集まりにしよう。ということで作って、なんとか頑張ろうって。それはもう、今、仲谷さんがおっしゃってたみたいに、「ヒモでいろよっていうようではまずい。やっぱり日本国民である以上、結局大人であれば税金もきちんと納めない」というふうなことがすっごくあったんですね。


仲谷:だから多分佐藤さんもそうでしょうし、僕も劇団内にプロダクションをつくるというか有限会社みたいなものを作って、ちゃんとこのカンパニーは社会性があるんだよ、ということをきちんとしたかった。会社にしておけば、劇団員の親御さんも心配にならないんじゃないか、とか、僕自身もきちんと結婚して家庭を持てば、劇団員がもっと安心できるんじゃないか、と思って結婚したんですけど。ちょっと失敗しましたけれども(笑)。


佐藤:かえって信用がなくなった(笑)


柴山:でも、そのおかげで人並みの・・・


仲谷:ただ、これは劇団ショーマンシップという単位の中でも、世代で分かれていて、7年未満くらいまでじゃないと、僕の中でも残念ながら、集団の中の世代間のギャップみたいなものがあって。劇団を作ってきた幹部というか古いメンバーは理念として演劇で食べていくっていうのが、すごくカッコよく見えていたしそれが完全に目標だったわけですよ。だから例えば学校公演みたいなものに関して、やり始めた時に、それこそすごい新劇の先輩から「体育館で芝居やっていたら芸でもやれよ」って言われてしまって、それでもそこに子どもたちは待っていて、演劇をみてくれる環境があって。結局それが演劇の普及活動になるわけで、「中学校高校と、あと5年やったら社会人になるんだ」という思いもあって、そういった活動を始めたと。そうすると、「ショーマンシップ」という名前をつけたくらいですから、どちらかというとお笑い中心の演劇をやりたかったにも関わらず、「泣いた赤鬼」というような名作童話をやったりとかっていうことになるわけですよね。で、そういう活動に僕らは価値を見出していたわけなんですけど、今7年未満のメンバーは「やりたい芝居をやりたい。食べていくための芝居ではなくて自分達が好きなことをなんでやれないんだ」、というようなことが内部の中にも出て来てて、「じゃあ君の好きなことって何?どんな本読んでる?どんな作家知ってる?」っていうと明確じゃなくなってくる。やりたい芝居とはいっているけれども「この作家のこの作品のこういうのが好き」っていうのではなくて、PCだったりとかマンガだったりとか。ふと今の状況をみると、まぁ映画もそうですけどマンガが原作になっていたりだとか、この間の「インディゴの夜」とかっていうのは昼ドラが舞台になっていたりだとかそういう現象が現実に起きているんですよね。あと、「テニスの王子様」ですか。ああいうものって実はお客さん集まっているんですよね。で、そういうところに意識ある若い世代に対して、実を言うと、この言葉は使いたくないですけど少し無力感みたいなものを感じた事があって。そこに自分の価値観を押し付けるというほど僕らの世代は傲慢にもなりきれなくて、やっぱりどこか話はきいてみようと思うけれども、でも違うんじゃないかなと思っている現況です。


柴山:どうですか、荒巻さん。


荒巻:うー・・・なんか、えっと、僕は実際、演劇活動というか、役者としてっていうことをやってないんで、でもすごく話はわかるというか・・・。世代的なギャップみたいなですね。仲谷さんが言われたような、意外と、なんかやりたいとかそんなこと言ってるけど、つっこむと、別にそれに対して勉強してるわけでもないし、ということになってしまうことっていうのは多くて。
そこを、「覚悟とかその辺の話とか、歴史を勉強するとかって、そんなことくそくらえだ、おれたちやりたいことやりたいんだ」とか、っていう勢いとかがあれば、多分面白いんだと思うんですけど、でも最終的にたぶん、そこにはぶち当たるんだと思うんですけど。


仲谷:多分、自然淘汰されてくるとは思うんですよ。そういう意識で活動していても、もっとほかのことに目がいってしまうだろうから、じゃあ本当の意味で石川先生のように、芝居の世界で生ききるというところまでは、そういった方はたどり着かないとは思うんです。


榎本:違う方法を考えたりすると思うんですよね。実際に、お芝居やってるっていうなかでも、「じゃあ、ここのシーンとかが面白かったから、そこだけ切り抜いてYoutube乗っけてみようか」とか、「いっそこれでお客さん呼ぼうよ」とか方法が違ってくるし、やってることも違うし。劇団という団体ではあるけれども、アニメのアフレコを自分で勝手にやって、本当の作品と違うものを当て込んで、それを作品として出してみようか、とか。いろんな方法をしてる人たちがいると思うんですよね。それは、ツールがもちろんたくさんあるっていうのもあるかもしれないんですけど、僕はでも、さっき言われたように、苦労をかってでもやるっていう人たちが、かっこいいなと思ってる世代だと思うんですね。さらにもっと、今20代の人たちとかってなると、多分それが逆に「え!?」って引いてしまうようなこともあるかもしれないんです。まわりにそういう人が、身近にいないと思うんで。なので、それを作った原因がどうこうというよりは、もう本当に、そういう人たちになってきてる。教えられるのが当たり前な人たちっていうのが、教えられなくなったときに自分たちで何かをしようと思ったら、今あるものでやらなきゃいけない。そこで、新しいジャンル、みたいなふうに生まれてきたんじゃないかなーっていうふうには思いますね。


佐藤:僕は、役者としてやっぱり向上したい、いい役者になりたいと思うんですよ。 で、いい役者ってなに?って言われると、またそれ難しい話になってくんだけど。自分の肉体を使って、どんな役でもどんな軸であっても、たとえば100年前のロシアであっても、400年前のイングランドであってもいいんですけど、そこでちゃんと存在する人間を、この体を使って、今この場に存在させたい、それができればいいと思ってるんですね。
それが、たとえば日本のものであっても、イギリスのものであっても、フランスのものであっても、どう見ても日本人だけど、存在したい。そして、その2時間前後の芝居を、目の前に、嘘の世界だけども、虚構だけども、その時間だけは間違いなくその人物がいた!と思わせたい。で、その中に観客を参加させたい。というふうに思ってるわけです。そんな一役者になりたい、ですね。


仲谷:今佐藤さんがおっしゃった言葉を短い言葉で表すなら、役に生きる、という言葉。とにかく役に生きるんだと。生きるために、脚本分析もするし、自分をストイックに、その状況を自分に作っていくとか、っていうことをこう常に。だから役作りというものはやっぱり稽古場だけじゃないんだ、というようなこと。


佐藤:そうですね。だから、今若い方々が、例えば学校を出て、仲間で演劇をやろうということをどう思っているのかということ。ぽんプラザにしようか?夢天神にしようか?と思いつつも、あー今日良かったね、と打ち上げやり、じゃ次の芝居何する?とか、金ないね、とかいろんなことも含めて、どうしたいのか、ということですよね。


榎本:本当にそれは最初に言われた覚悟の部分だと思うんですけど。実際に僕が経験した中でも、「私はこの役がやりたいんです、できないならでません」という、なんだお前は!っていう人物は、いるんです。で、逆にじゃあ演出として、「いやそれはそうじゃなくてこうなんだよ。こういうふうにしたいんだ、それは周りとかも合わせてもらいたいんだ」と言っても「でも私はそうは思わないんでこれでやります」と断言する役者さんもいる。「じゃあ、他の人に迷惑かかるから替える」って言ったら、「なんでですか!」と食いついてくるという。
なんかこう、間違った認識の人とか、それが覚悟だと思ってるんですよ。「悔しいからそれ以上に納得させるくらいの演技で返してやろう」とか、あるいは「それが分かる場所を自分が探してやるんだ」じゃなくて。「私はこれには出ません」って言った人が、他のところに行って、じゃあどんな役をやったのかっていう。観に行くと、何が違ったんだろうとかっていうこともけっこうあるんですね。で、僕は仕事として、プロダクションで教えるっていう講師の仕事もしたことがあるんですけど、やっぱり、年が若ければ若いほど、言われたことに対して一生懸命やってるっていう情熱があって、それがだんだん、「自分がこうやりたい」っていうのが強くなってきて、さっき仲谷さんがおっしゃってた、「こういうのがやりたいんです」っていう、漠然とだけど言葉では言えてしまう、っていう人たちが増えてくる。っていうのを体感したことがあるので、それは本当に覚悟だったりとか、誰かに教わって自分が成長するっていうことよりも、自分自身が成長することに夢中になってるんじゃないかなって。で、それが間違ってるかどうかもわかってないっていうような人がなんか増えていくんだろうということを感じますし、ま、一番衝撃的だったのは、「そうじゃないこうなんだ」っていうのを、もう5分ぐらいなんですよ。言っただけで、泣いて出ていったっていう人がいて、そのまんまずっと来なかったっていう。だから、そういう意味では情熱も足りないのかもしれないし弱くなっているのかもしれないなとは思います。


佐藤:職業と思っていることがあって、昔はね、うちはバイト禁止だったんですよ。バイトするくらいなら本読め、走れ、発声、とにかくそのことばっかりで。はやくこの職業で一人前になりたいと思うんであればバイトしている暇はないだろう、と。暇があれば本読んで訓練しろと。訓練は嘘をつかないから、みたいなことばっかり言ってて、で実際僕もそうだったんですよね。僕も、夢工房に客演で出て、そしたらうまいんですよ。小手先が。ちゃっとやっちゃうんですね。さらーっと。で、この生き方いいなぁと思って僕は仕事を全部棄ててこっちの世界に入ったんですけど。ただやっぱり、何にも知らないことばっかりでしたよ。芝居の事、演劇の事、役者の事。メイクもできませんでしたよ、自分で。だけどそういうことを一個一個覚えていくことがもう僕にとっての3年間、そればっかりでしたね。で、なんとか職業として生きていきたいと、そんなことばかり考えていたから、なんとかなるんですよ。で、なんとか生きて来れるし、なんとかそれで職業的な収入を得られるようになってくる。だから、そのことをこの22年間やってきたわけですね。今の若い人たちをみる時に、結構若手の劇団でパーソナリティーやってるとか、ラジオやってるとか。まあきっとこれは(山崎)銀之丞とか、高橋君とかっていう影響はかなり大きなものがあるんだろうとは思うんですけど、放送局ができてきたことがあるでしょ、でそういった状況で、結局タレントみたいな生き方ができる。その一つの方法論みたいに演劇が落ちていってないかなって。極端な言い方するとね。そういう風に思う。なんかステータスとして演劇みたいなものをやっているっていう風になっちゃってないかい、みたいな見方をしているということですね、先ほどからの話で行くと。


榎本:「今やりたいことをやるんだ」という人たちが間違っているんだともいえないんですよね。それでほんとに仕事になったりとか盛り上がったりとか、それこそパソコンからの発信で有名になったりとか映画監督が偶然それをみてじゃあ取り上げた、それが映画作品になったとかって、すごいお金になったよって。じゃぁそれはそれで成功なんじゃないのっていわれれば、いやそうですよってなってしまって。


佐藤:でもさ、確実にいえることは何かっていうと、これから先の事を考えるときに、演劇ファンを増やす必要があると僕は思っているんですよ。で、僕は演劇好きだからこうやって生きていくって話をしてたんだけど。そうなったらね、芝居を観てくれる人が今の10倍くらい欲しいんですよ。10倍じゃ足りないかな。15倍くらい?欲しいんですよ。東京は結構いるじゃないですか、コアな演劇ファンというのが。で、仲谷さんとこもずっと甘棠館とかでやってて、演劇ファンっていると思う。だけどこれをもう10倍くらいにしないと、やっぱり成り立たないと思うんですよ、職業として。じゃあどうしたらそうなるかっていうと、いい芝居を観せていかなきゃしょうがないんですよ。いい芝居をみせつつ、その芝居のスターを生んでいかなきゃいけない。ある意味で。芝居のスターっていうのは個人かもしれないし、劇団かもしれない。集合体かもしれない。劇団という名前じゃない集合体かもしれない。もしくは、ひょっとすると劇場かもしれない。「あそこの劇場は飲食も自由だし、あそこにいったら、演劇の異空間みたいなものを味あわせてくれる。」とか「なんかすごい長襦袢みたいなのがわーっと下がっていた」とかさ。なんかそういうもの。「あんなところから人間が落ちて来たよ」とか、そういうことが可能な劇場があるとかね。そういうことかもしれないんですよ。空間だったり、ソフトだったり演劇の全ての事を含めたことじゃなきゃいけない。そうならないといけないんですよね。そのためには、演劇をやる人が、ごめんね、いやな言い方かもしれないけど、「ちょっとやってみよう」ということで演劇離れのきっかけにしたくないんだよ。そういうとこがあるんですよ、お客さんって。「あーこんなもん」っていう。僕らがはじめた時ね、演劇なんてね、はしかみたいなもんで、「若い時に一度はかかるはしかだよ」みたいに言われたことがあって。「だから、残っていかないんだよ」って言い方をされた。で、現実問題として福岡って、歌手っていっぱいでてるじゃないですか。タレントさん・歌手・フォークソングの人たちっていっぱいいるね。でも、演劇の人たちってあんまり出てないわけですよ。現実問題として残ってないわけです。むしろ、演劇ってどんどん下火になってきている。歴史をみるとそうですよね。小屋も縮小されているわけですよね。これはなぜかなと思うと、喧嘩ばっかりしてるからなんですよ。昔の1950年代60年代って、思想の人だからですよ。演劇が理想通りではなくなっちゃったんですね、ある意味。「楽しい」がなくなってきたんです。で、それをもういっぺん、今の時代から創りなおしていったほうがいいような気がする。


仲谷:そういう意味で言うと、ちょっと何回か流れは否定的だったけれども、今の若い方にすっごい期待値もあって、今の20代のカンパニーとか、20代の若い俳優さんたちの元気の良さっていうのは、ちょっと面白い状況になってきているのかなっと僕はみているんですよね。


荒巻:そうですね。その何年か前くらいの、本当になんかもうそういうのすらちょっとなくなっていた時代からすると、今また無鉄砲な若者がちょっといるなっていうのは思いますね。


佐藤:それが昨日の発見だったね。僕にしてみれば。


柴山:私が思ったのは、覚悟の話でいえば、ひょっとすると今の時代っていうのは、「とりあえずやってみよう」から始めて、そこで覚悟をみつけていく。「あ、そうか」って思った人間だけが続けていこうっていう、続けてきている。昨日も出た第2部の方々もそうなんですけど、続けていく中で「あ、できなかった。あ、壁があった」っていって学んでいって、それと同時に覚悟を身につけていったと。だから最初から覚悟を持って臨んだわけではなくて。特に今の若い世代の人は、自分探しだとか、自己表現のためだとか、そういう中で演劇を一つのツールとしてみているのなら、その出会いからそのうちの一部のひとであっても、覚悟を持った人が続けていくっていう形に、時代的にそうならざるを得ない。


荒巻:僕もいっぱい劇団みてきましたけど、だいたいやっぱり大学演劇とか高校演劇とかからスタートして、そのカンパニーのメンバーの年齢が22歳とかでまず最初の壁が来る。で、そこを乗り越えたらまた4~5回公演が打てるような状況で、わりとがんばれる。で更にそこを超えて皆の年齢が30歳位の時に2つ目の壁がやってきて。仕事をしながら、やっててわりと年齢的に重要なポジションになってきた時に、「さあどっち」っていう選択肢がでてくる。確かにその時その時に覚悟っていうのを迫られて、やっぱりそこを超えるとわりとちゃんとやれるなっていうのは・・・。1回2回の公演でもう無くなるべきだっていうところはいっぱいあったからね、昔は。


仲谷:それはでも、残念ながら誰でもできる仕事ではないっていう部分があって。20代で100人演劇やっている人を調査していったら、多分30代40代50代・・・どんどん減っていって、結局1人とか2人とかしか残っていないっていう仕事だってのはありますね。そのためにもやっぱり自分達の能力とか、昨日の言葉で言うと術(じゅつ)。「物言う術」とか久しぶりに聞いて、僕は絶対的にそういう風な教育を受けていたりしたから、そういうものはやっぱり継承していくべきことではありますよね。


榎本:だからこそ、その稽古場だけの関係じゃないところでそういう話をいっぱいして欲しいっていうか。やっぱり同じように上の年齢の方の人たちとお話をしたいんだけれども、そういう場所がもてない。でもお酒が入ったら結構しゃべって下さったりする方とかいらっしゃるんですよね。そういう人たちが、僕が始めたころっていうのは、その劇団にこの人がスター役者・看板役者、みたいな感じで居たと思うんですよ。でも今の若い団体って、「あの人が出るから観に行く」っていうような存在っていないんじゃないかなと思うですよね。


柴山:そうですね。最近の若手の劇団ってそうかもしれない。


榎本:だから、「この人たちがやるよ」「ここ出身の連中がやるよ」って、「あ、じゃあ後輩だから観に行こうかな」「あいつ面白いな」って、じゃあどんどん鍛えていけばいいのにっていってもそうならないとか。なんかその、この人目当てで行くっていうのが今からどんどんできてくれば、多分さっきいわれたようなお芝居・役者で食えるとか、それでやっていこうっていう人に、また他の人たちが群がってきて、仲間ができてって、大きなうねりが作れてっていう風になっていくと思うんですよね。なのでこういう機会とかで、ずっと敬遠されている方からいろんな話を聞ける機会をもっと増やせれたらいいなとか、あとまあほんとにこういう行儀のいい場所ではなくて、居酒屋でパネルトークやろうよっていうぐらいの感じだと。本当は知らないだけかもしれないんですよね、僕らの世代が。知りたいけどそういう機会がなかっただけなのかもしれないので、ほんとにそういう場所がどんどん増えていったら、もっとそういう話も聞けるし、「僕ら今こういう風に思ってるんですよ。だからどうしたらいいですかね。」ていう質問もできるかもしれないなっていう。


柴山:じゃあ榎本さん佐藤さんに招待状を送って観てもらってとかっていうところから(笑)


榎本:(笑)そうですね。来てくれますか?


佐藤:行きますよ。


榎本:わー。覚悟を持って創らないと(笑)


仲谷:でもねー、佐藤さん、やっぱり観た方がいいですよ、若い劇団。


佐藤:観た方がいいですよねー。


仲谷:僕もここ数年、ここ2年くらいで、地元の劇団の芝居を観始めて、勢いみたいなものを感じているので、今誰が出ているからっていうお客さんが来ないっていうところで柴山さん頷かれたけど、比較的ね、今何人かの若い役者にはお客さんとかってついてるなぁっていう。何人かね。


柴山:あーまあ。ちょっと前、10年くらい前はもうちょっと違う形で、あの、劇団の看板みたいなのが居た気がするんですよね。それからすると、あの、スター分散じゃないけど・・・。


仲谷:あ、つまりそれは今20代の子たちは活性化もしているけれども、全部が半ばプロデュース公演でしょ。劇団の名前があっても、いくつかの中で俳優がいったりきたりみたいになってるから、一つの劇団の看板っていうよりも、なんかその劇団の名前を借りたプロデュース公演が若い世代の中で行われてるなーっていう香りがするんですよね。


榎本:一つの団体に対しての人数っていうのがやっぱり少ないような気はしますね。


仲谷:それは悪い事ではないんですけどね。余裕ができるしね。ただ、怖いのは地域・福岡で演劇やって、演劇ファンではないけどなんらかのきっかけでお芝居観にやってきた、でその芝居が面白くなかったら、この劇団のこの作品が面白くなかったではなくて、お芝居が面白くなかったと思われる、ということがあるから、どっかでやっぱり劇団・演劇って言う形でお仕事するときはしっかり頑張ってこないかんなーと思うし、むしろ僕らもしっかりやらないといけないなと思うんですよねー。


佐藤:表現の自由はどうなったーみたいな話になっちゃうんだけど、演劇っていうのはやっぱりおもしろいなーって。観るのもおもしろい、演るのも面白い。で、その素敵な人たちがこの街にいるんだ。で、応援しなきゃっていう空間になって欲しいんですよね。なってもらわなきゃ、職業として成立しないなーと思うんですよ。で、やっぱり職業として成立させたい僕の想いがあって、現実に職業としてやってるわけじゃないですか。役者が職業ですよ。で、僕もまあそうですよ。で、それは何人かいるわけですよね。うちには何人かいるわけで。で、他にもいるでしょ。そういう人たちが、しっかりしなきゃなと思っているわけですよ、ほんとの意味でね。で、それはじゃあ、どういうしっかりする方法があるかというと、若い人たちに、「そんなことじゃ役者としてつまんないよ。もうちょっと役者として目覚めてよ」っていうことを継承していかないといけない。自分達が役者としてなんとか独り立ちしたいと、1本脚で立ちたい2本脚で立ちたいと、思って来たんですよね。でそれを何人もいりゃあいいんですよ。でその人たちは結構責任しょっちゃうわけですよね。お客さんを増やさなきゃいけないとか。で、自分達の芝居で一人でも二人でも演劇ファンを増やしていきたい。で、演劇はすてきだなあと思う人たちを増やしていきたい。それがまた何人かずつ増やしていきゃあいいんだ。で、さっきの壁の話だけど、22の壁30過ぎての壁、その時に、彼らはどうするのかっていうと、辞めてもらっちゃ困るんですよ。
「いやいやいやいやいやいや、辞めるなよ・・・なんとかなるわさ。もうちょっと2~3年だまされたと思って我慢しろ。」って今のが本音なわけですよ。その時に、なんとかこの職業は素敵だと思える瞬間を味あわせてあげなければいけない。という気がしている。でそういう方法論って何かないかな。とは思ってるんですよね。


仲谷:昨日、FPAPのサポートスタッフの女性に声をかけてもらって、「実は就職活動をしなければならないけれども、何が自分に合っているかわからない。何がやりたいかって言うと演劇がやりたくて、まずは何かに携わってみたくって、このボランティア活動に参加しているんだ」って言われた時に、「いや、両足つっこんじゃって素晴らしい世界に来なよ」って言いたかったんですけど、修猷館高校出身らしくって、お勉強も出来るみたいで、可能性はいっぱいあるなーと思いながら、でもそういう存在こそね、演劇に来てほしいし、胸張って僕らが、芝居いいぞと言えるような環境を創らないと行けないですよね。昨日、石川先生が唯一反省としておっしゃった、あの夢工房という劇団がもっていくためには、もっと他の団体にも協力する。それから地域に対してもっと交流するという。それは、僕自身もすっごく大きく頷けるところで、自分達の仕事で言うと、唐人町商店街に甘棠館があって、そこに劇団の拠点を置いてもらったことによって、あきらかに伸びたんですよ。それは確信犯ではなかったですね。確信犯じゃなかったですけれども、商店街の中にある劇団だから当然商店街と色んなことやっていくべきだ、と。で、知ってもらうためには、演劇の現場に足を運んでもらうためには僕らが商店街にいくぞ、と。商店街のお祭りに劇団で参加しようとか、お祭りの司会をやってみようとか、甘棠館ていう名前をなんでつけたかっていうと、江戸時代に修猷館と甘棠館という学問所があって、修猷館は残っている、甘棠館はなくなったんだというのがあって。じゃあ、甘棠館の歴史物語を自分達でやってみようって言うところから、歴史物語をやるようになると歴史ファンという客層が足を運んでくれるようになって、それからノルマなしで満席になるようにはなったりとかっていうそういう事実があると、やっぱり地域との結びつきの中での出会いってあったんで、石川先生もそうおっしゃてるし、僕も体験してあるんで、じゃあ何か次世代も、もっと地域と結びついていこうよと。


柴山:ほんとに思いますね。観客側からの立場で言えば、もちろん佐藤さんがおっしゃったような役者としてっていう部分も、表現者の方が鍛えていただきたいと思うんですけれども、それ以外に実は観客の開拓ってぼかっと空いているところがあるんですよね。それは何かっていうと、私は子どもがいるんですが、ママ友。私が芝居関係の事をしているということで、「実は興味がある。でも、預けられない。で芝居って言うのは夜しかやってないよね。行きたくてもいけない。金土日しかなくて。だから一日だけでも平日の昼間にやってくれたら行けるのに。」っていったりするんですよ。で、それを私はあちこちで言ったして、新聞社の方にも言ったけど、まあ残念ながら紙面が厳しくて書いてもらえなかったりとかなんですが。甘棠館も商店街があるのでお買いものいったりしてチラシに載ってますよね。で、あの甘棠館、ってまず読めないんですけど、「甘なんとか館っていうっちゃけど」と(笑)。ここで、万能グローブガラパゴスダイナモスがロングランやりましたよね。ロングランだから行けるかもしれない。これもやっぱり大きいんですよね。これは、FPAPでもロングランシアターっていうのを何回かやられたと思うんですけど。やっぱり一週間~10日のロングランでやることで、観る回数・チャンスが増えるわけですね。そして昼間に例えば2回やるとか。無理は承知で言うんですけど、例えば託児をするとか。PA!ZOO!!さんもね、託児を何回かやられていて私も預けた事があるんですけど。そうすることによって、育児中のお母さん達がいける。それから例えばじゃあ今度は高齢者の方にアピールするにはどうしたらいいのかとか、あの、恐らくお芝居をやっている方の、観客層のみている範囲というのは狭いと思うんですよね。でそこをちょっと視点を変えるっていうことは、それこそ「観てほしい。いいものなんだから」って、言うんだとすれば、もっと考えていけばどうかな、と私は観る側としては思います。


仲谷:僕らの劇団単位でいうと実は客層が年齢層高いんですよね。


柴山:そうですね。


仲谷:50代~60合代くらいで、で、託児所も一回つくってみた事があるんですよ。来てもらおうと思って。一つカルチャーホール借りて全部つくって、保育士の方までお願いして準備していたんですけど、全然申し込みがなかったんですよ。そうか、うちの客層みんな年齢層高いからかって。しょうがないから、子どもがいる友達をわざわざ呼んで託児所預けたりなんかして。もったいなかったな、なんて思ったりして。良いか悪いか、うちではそういう状況があるんですよね。


柴山:っしゃていることすごくよく分かるんですけれども、例えば北九州芸術劇場ができた時、あそこ託児があるんですね。私はもう毎月のようにあそこ行ってますので、毎回子ども預けているんですけど、最初のころは利用がやっぱりなかったんですよ。それこそうちの子一人だった。それが、やっぱり増えてきてるんですね。だから、あの辛抱してくれっていうのは劇団にはちょっと辛いことを言っていると思うんですけど、そうすることによって裾野は広がるのにっていうのがちょっとありますね。


荒巻:そういうケアの問題っていう視点とかもあるし、例えば、お芝居自体の切口とかでも客層は変わってきたり・・・。いうたら、ギンギラ太陽’sのお客さんっていうのは、多分他のお芝居はほとんど観た事ないような方が多数だと思うんですが、そういう中で、もちろん、やりたいことと動員とっていうのが結びつけばもちろんいいんですけど、でもそういう視点によって掘り起こすみたいな能力っていうのは劇団の若手とかでも、今こんだけ色んな状況とかいっぱいあるからもっとあるんじゃないかっていうのは思ったりする。


柴山:むしろ、今活躍している若手は、わりと自分達の観客層はここだからっていう選択が結構はっきりありますよね。その点は、むやみやたらにがむしゃらにっていう世代とはちょっと違って、良いのか悪いのかそれがどうでるかわからないにしても、戦略的だなと思うことはありますよね。


仲谷:だからそれは僕らが勉強すべきところもあって、そういう世代間交流において、自分達の観客というものをしっかり見据えてある企画とか。ただ、さきおっしゃっていたロングラン公演は僕らもショーマンシップの10周年で一カ月公演をやったんですよね。そうするとあきらかにやっぱり観客数は伸びていって、一公演全部で1300人くらい動員みたいなことになってくる。それにクライアントさんつければ、俳優人件費とかを払えるんですね。一ヶ月間芝居しながら、全員が生活できたっていう事実はできたんだけれども、そのあとボディーブローの用に、集団としての色んな問題点が洗い出されて、一ヶ月間全員で芝居創りに集中した分、他の事務所としての営業が上手くいかなくなったり、あるいは、個々のモチベーションが失われて一カ月公演が終わったら、辞めようと思っている人間もいたりとか、それはすごい劇団主宰者としては傷つく出来事が待ってたんですよね、その後に。だから、本来ね、まあ現に一ヶ月公演を3本とか4本やれば、それでまあ4ヶ月は俳優ができると、それに僕自身は6ヶ月間で巡業をきちんとやってくれば、その他の個々の仕事も含めて仕込み期間もいれると、それを経済基盤として一年間の俳優の仕事をみたいなことをいつも頭の中に浮かぶんですけど、出しきれてはいないということなんですよね。


榎本:平日の公演に関しては、ホールの使用料って平日の方が安いじゃないですか。で、昔ほど今は土日が休みっていう会社もそんなに多いわけではないので、逆にそういう時にこそ普段は100人キャパでやっているところを、400人のキャパで平日借りてやるとかっていう方法でですね、新しいお客さんを取り込んだりとか、そういう方法を考えるってこともいいかな、とは思います。


柴山:チラシの撒く場所を考え直すとかね。チラシ見てないですから、そのママ友と呼ばれる人たちは。だからそういうふうに考えて、平日公演のためのチラシみたいにすればまたちょっと・・・・・・。


榎本:僕一回、新聞の広告に入れた事があるんですよ。


柴山:え、お金かかったでしょ。


榎本:お金はかかりはしたんですけど、まあ、地域ごとに分かれてて、1部入れるのに4円なんですよね。だからまとめて入れる分には1地域・・・


柴山:あー新聞に載せたんじゃなくてー


榎本:新聞に載せたんじゃないです。広告を入れたんです。挟み込んで。そしたら、その地域の人たちが来てくれてたんですよね。なので、ぜったいにちょっと違うことをすると、違う人たちが来てくれるっていうのはあるので、いろいろな方法を考えたりとかっていうのは


柴山:柔軟に・・・


榎本:そうですね。


仲谷:ちょっと違うことでいうと、ここ2年間、僕はお寺を一人芝居でまわっていたんですよ。友達んちがお寺さんで、そっからお話が来て、浄土真宗のお寺で、親鸞聖人の750回大遠忌で、地域の中で何かやりたいっていういうことで脚本書いてくれる作家さんいたんで、それを僕にやってもらいたいっていうお話だったので。それでずーっとお寺をまわってて、5月の終わりにはマリンメッセでやったんですよね。一万人の中でお芝居をやるという、絶対演劇空間としては成立しないだろうというものを引き受けてしまったんですけど、ところが、テーマが親鸞聖人ですから、皆さん有難がって何があっても絶対見てくださるので、一万人の笑い声とか一万人の集中力とかっていうものを経験することができたんですよね。それって、お客さんのところに僕らが飛び込んでいったっていう、お客がくるのを待つんじゃなくって、こっちから出掛けて行ったっていう一つの良い事と、もう一つは地域性というか、そのお坊さんたちが考えていたことっていうのは、浄土真宗はだいたい前進座ですか?五木寛之さん、そして前進座っていう仕組みでやるので、お芝居をやりたいと思った時に、前進座さんに丸投げしたら、完全に出来上がったものが持って来られると。で、自分達の意見も反映させたいから、地域の劇団と手を組みたいってことで、組んでもらって、1年間、お坊さんたちと一緒に脚本作って、稽古もお坊さんたちが並んで見てて、稽古終わった後、


柴山:ダメ出しがあるんですか、お坊さんにも。


仲谷:時間になって演出がダメだしして、お坊さんたちが意見言うんですよ。僕が気を使って、稽古終わりますけどなんかダメ出しありませんか。「いえいえ、何もございませんが、仲谷さんだけ残って下さい」って言われて、僕の演技のダメ出しがあるんです。親鸞聖人に対する想入れも当然あるでしょうし、けれども、その地域性ということと、お客さんのとこに出かけていくっていう演劇行動が、今回で言うと僕らとしては新しい、ちょっと違ったことっていう意味ではおもしろい出来ごとだったし。そこでは一万人の観客と出会ってるってことだから、そのあと、別のとこ行くと、こないだ観ましたっていう人と、こう出会えたりとかしてる事実があるので、そういうことは、いろいろとやってみていい、というのも、伝えないとわかんないことなんで、こんなことがあったよって。


柴山:でもまたそういうかたちで、今から何が私たちにできるのか、これからの世代、どういう形で新しいものをつくっていくのかっていうことに少し話をシフトしたいんですけど。仲谷さんがおっしゃったように地域の人に自分から入っていく、とか、いかがでしょう、そういった・・・。


佐藤:金を誰かが出してくれて、良い作品を創りたいですね。
作品をつくるための、作品をつくるための、だけの集まり方というか、役者も演出も、そういう方法論って出てないのかな。


仲谷:僕はまた違う角度で言うと、学校公演っていうのを、劇団の人の仕事としてやっていく時に、今少子化で、劇団を呼べる学校がどんどん減ってきてるんですよ。それからインフルエンザで去年は特にインフルエンザで中止になっちゃったりとかで、


柴山:道化さんが


仲谷:道化さんも大変でしたし、うちやなんかも結構大変だったんですけども。今、実は、幼稚園とかでやれないかなと思っている活動があって、幼稚園の自分達の予算で劇団呼ぼうと思ったら、払えても3万とか5万円なんですね。それじゃあまともなお芝居ぜんぜんやれないんで、企業がプロパガンダとして、幼稚園の子ども達にしてほしい、要は企業がスポンサーになってもらって、園からはお金はもらわずに、20ステージ、何人・何百・何千人の子ども達に見てもらえますよっていう提案・巡回活動のありかたというものを、今模索しているところがあって。それが成功していけば、学校の先生単位に「買ってください、一人いくらで」っていうのと違う角度でいける。それから小学校中学校の場合はプロパガンダはできない、企業の宣伝は無理かもしれないけど、幼稚園保育園は割とやりやすいところがあるんで。そのかわり絶対、さっき佐藤さんが言った、いいお芝居、キャラクターとかマジックショーとか、そういうのじゃない、お母さんたちの読み聞かせとはまたちょっと違う、きちんとしたものをもって回れないかなっていうのはひとつ今、考えてますね。


柴山:未来の観客を育てるってことも


仲谷:もちろんそうですね。


榎本:僕は、自分たちの世代を育ててもらうというか、育てるためにですね、60代とか50代の方の演出とかで、僕ら世代の役者が集まって、事業的な感じで公演を打たせてもらったりとか、いいうのができたら嬉しいなとは思うんですが。


柴山:それってどうなんですかね?FPAPさん、とかいって。っていうのが、やっぱり昨日の話からありましたけど、FPAPができたことで、随分福岡の環境は。パピオができた事も一つ変わったコトであるし、公共の稽古場ができた、でぽんプラザホールもやっぱりそうだって話が昨日もちらっと出たんですが。


佐藤:ここで発信する作品作りみたいなものを、ひとつの踏み石にするような、そして、作品もさらに練って練って練ってね、もういい作品を作るためだけに人が集まる。で、その場がそのためだけに存在するようなね、作品ありきーみたいな作り方ってあるような気がするんですよね。


榎本:佐藤さんがおっしゃった壁の部分にしても、当然その同じ世代でやっているほうがぶつかったときに越えられないような気がするんですよ。でもそこを引き上げてくれたりアドバイスしてくれる人がいれば、まだやれるってなるところを、やっぱり今の希薄な感じっていうのが、燃やしたいけど燃えられない、っていうところになってて、逆に自分たちでできるものだけを発展させていって、違うようなジャンルになってきているのではないかなと思ったんですけど。


佐藤:役者としてどうあるべきかだとか、楽屋って言うのはどうあるべきかとか、舞台へ出るときの脚の使い方ってどうあるべきだとか、どうしたって所作が必要な場合ってあるじゃないですか。いくらオリジナルであろうが、素敵にみえるとか、その方が体のこなしがいいんだとか。極端に言えば、下手から出るときに左足から出ちゃいけないとかいうことってあるじゃないですか。所作の決まりみたいなものがね。で、そういうようなものって、どうでもいいっちゃどうでもいいんですよ。でも、知ってるのと知らないのとでは大きく違います。で、そういうことが、やっぱりきちんと僕らは知ってなきゃいけないと思っているんです。仲谷さんとか僕らっていうのは。長くやっているならば。で、仲谷さんとかはみっちり鍛えられているんです。ベースからね。ま、そういう風なものって、一つ自分の中の役者としての根っこになっているところがある。で、そういうものがきっと壁にあたったときって、すごく大きく作用するんですよね。で僕は辞めてほしくないから、そういう壁にあたったら、「考え直すいい機会だから、今真剣に考えてやっぱ俺にとって必要だと思ったら帰っておいで」っていう気がしてるんですよね。僕らの世代とか僕らの上の世代がもっそういうことをとしっかり自分の中で勉強しなおさないといけない。で、違う劇団で、若手の劇団だけれどもパイプが上手くつながっていくように、塩化ビニルのパイプでいいから、ほそーく繋がっていきたい。それができるというのはどういうことかというと、飲み屋さんでの付き合いであるかもしれないし、打ち上げの席かもしれないし、こういう交流かもしれないし、もっとストレートに言えば作品づくりなのかもしれないですよね。でその核にFPAPとかぽんプラザホールという場所があるんだから、FPAPがなればいいし、また、先ほどの大博多ホールもそういう風なものかもしれないし、ひょっとすると甘棠館かもしれないし、ショーマンシップかもしれないし、ということかなーっていう気がしてますね。


仲谷:ちなみに甘棠館は、10周年記念でございまして、アームストロングコンプレックスという作品を田坂君の作・演で、私も出演させてもらうという。


柴山:反対ですよね。今言っている話とね。今度は若手に演出と作をという形・・・


仲谷:そうですね、演出してもらって。で作品そのものに関しても彼らに預けちゃう、と。で、大人の部分というか経費代の部分は、きっちりおしりは自分達で持とうと。ただ、これはプロデュース公演ではない、期間限定の劇団だと思ってやってくれという確認はしてるんですけども、それは今おっしゃったように、よく飲むんですよ。よく飲むというかみんなで喋るということに意義はあるかな、とは思うし、お互いを知るにはいい。あと、やっぱり肝心なのはお客さまなんで、ぜひおこしください


佐藤:おそらく劇団という形としてやるのは意義が大きいでしょうね、きっと。で、劇団てのはどうあるべきか、っていうのを再確認する必要があるからね。だから一つのものをしっかり継承していく、実現させるめの集合体なんだっていうことが明確にあるわけですからね。それがプロデュース公演ではやることが多すぎて、そのあたりが曖昧になるんですよ。


荒巻:僕も何度かプロデュース公演というのをやったことがあるんですけど、確かに責任の所在とか、作品力というのはお留守になるし、もったいないっていうところがあるっていうのは…。どっちかというと僕がやったのは、告知というか福岡でおもしろい役者というのはこの人だよというのを知らしめるウェイトの方が大きかったので、作品力、中身っていうところからはなかなかこう……時間の問題とか、スケジュールの問題とかあって、そこはプロデュース公演の難しさだとは思うんですけど。


佐藤:プロデューサーっていうのはいろんなやり方があっていいと思うんです。ただそこに耐えられるだけの、対応できる役者たちがいっぱい出てくるでしょうって話で。いや、出てこないと、福岡の将来は先は暗いよ。福岡全体の演劇ファンが十五倍から二十倍にならないかと。素敵だと思いますよ、二十倍くらいになったら。一ヶ月に二本くらい見ないと何か落ち着かないのよね、というひとが二十倍くらいに増えると。今、何人くらいいるんだろう?


仲谷:色んな分析ができると思うんですけど、福岡の人口に対しての演劇人口の少なさというのは歴然としてますよね。


柴山:ただそれは福岡だけじゃなくて、携帯電話が普及しはじめて、お芝居のチケットの売れ行きってがくんって下がってるんですよね。携帯に費やすお金が高くなって、その分チケットが買えないっていう……。それを北九州芸術劇場の津村さんに聞いたんです。そういう劇団があるらしいんです。ですから、10年前に比べると明らかにチケット、「前に一ヶ月に二枚買っていた人が、二月に一枚になっている」ってそういうことに、なっているらしいんですね。そういうのって全体として、どうなるのかなっという気持ちが。


荒巻:お芝居ってお金がかかる作業じゃないですか、人手的にも時間的にもコストがかかるもので。僕は、本当はお芝居のチケットって一万円でも七千円でもとればいいって思うんですよ。で、本当に素晴らしいものをやれば、作品に責任を持てばいくらとってもいいと思うし、おもしろければ僕はいくらでも払って観るっては思うんですけど。でも、でも難しいですよね、実はそこって。


榎本:観てもらえる人たちを増やす為っていうんであれば、映画みたいなレディースデイだったり舞台の日みたいなのをつくって、でもその分どっかが補てんしなきゃいけなくなるってのはありますが……。


荒巻:そういうチケットを割り引くようなシステムではなくて、チケット代金自体はあがって、作品力とか魅力が上がるべきだと思う、んですよね


佐藤:そう、だから、そう、僕も思う、一万円のチケットなんてねいいよね、売りたい。でも買ってくれるかどうかがね。でね、どっちもありだと思うんですよ。だから、それを色々話をできるような状況になりたいよね、ていう感じ。今は「芝居ってどうなっていくんだろうね~」みたいな寂しさの方が強くて、芝居ってもっと、ほんとに、役者さんたちがガッとこう、一人一人がきらきらきらきらね、歩いていけるような。状況にね、今なってるのかな?


榎本:今、自分達でチケットの料金って決められるわけじゃないですか。で、じゃあなぜその金額にしているのかとか、じゃあこれ以上は高いよねっていうくくりを、誰がどういういう基準で決めてるのかって言うのは、わからないですよね?


佐藤:だから昔はね、映画がいくらだからみたいなのがね、基準にはしてたところがあったり。今だけど、結構高くないですか?


柴山:高いです。


佐藤:よねー?


柴山:高いですねー。


佐藤:平均ってどのくらい?


柴山:平均って、やっぱり、地元の劇団とそうでない劇団ととか、もう全然金額が違うので、前売で1500円からもう一万数千円のものまで、もうね、幅はかなりありますから。やっぱりあのー、あまりお芝居を観ないうちの夫なんかは、「映画が1800円なのにどうしてこんなに金額がかかるの?」って、その説明をもうちょっとすると、一般の知らない素人は納得したら払うかもしれない。でも、納得もせずに、7000円だよっていきなり言われて。映画と違って難しいのは、前評判が無いわけですよね?映画評とか、前もっての。だから行ってみていいかどうか。で、はずれだったら7000円は痛いですよね。だからそういうことを言うんですよね。それも一理あるなって。だから、まずは、ひょっとしたら、「お芝居をするのにこれだけお金がかかるんだ」っていうことを、もう少し素人には知らせる義務はあるのかなという気持ちもあったりします。


榎本:さっき言ってあった「この人が出るからいく」っていうので、金額を上げることはできるかもしれないじゃないですか。そういう人がいればですね、「この人が出るから」とか「あの作品をやるから来る」っていうお客さんもいると思うんで、だったら実力は付けていかなきゃいっていうのがあるので、


柴山:そうですね、一方で確実にそれはしていかなければいけない、いかないと。


榎本:逆に、1年目~5年目までは1000円でいいけど、それ以上たったら1500円とらなきゃいけない、10年経ったら2000円とらなきゃいけないって、で、それでお客さん来なくなったら辞めなきゃいけないってくらいのリスクを持ってでもやるんだっていう状況に追い込まれると、また火がつくかもしれないですけど。まぁ、難しいでしょうけどね実際には。


佐藤:今、いくらなんですか?


榎本:うちは1500円でやってます。


佐藤:それは会場はどこでもなんですよね?どこにいっても。


榎本:アクロスの円形ホールでも、ぽんプラザでも一緒なので。


荒巻:小屋の料金も全然違いますよね?


榎本:全然違いますね。


荒巻:で、昨日の話であれだけど、全体の収入…チケット代×動員数とかではその中のパーセンテージが明らかに違う。


榎本:違います。で、実際じゃあ、それも昨日も言ってましたけど、男の人と女の人との違いじゃないですけど、僕らも足りないとかどうかとかじゃなくて、「とりあえずこの金額でやるんだ」と決めて、やれなかったらちょっと別のことしてでもっていう感じになってしまっている、実際そういう状況ではあります。それでも、続けたいからやってるし、やってるから続けられるっていうことで、まあ今日まで来てて。横見た時に、同じ年に始めた人たちがどれだけいるかなっていうとやっぱり減ってるし、上の人たち見ても、まあ、県外出た方とかいらっしゃいますけど、「そういえばいないな、どうしたんだろう」とか言っても、「あの人は他の劇団でやってるから」とかいうのはちらほら見てきていますね。そういうところが、全部ひとつ一緒になって福岡の団体一個なんですよっていう風になればもっと何か大きな事もできるんだろうけど、実際やろうよって言った時に、最初は「面白そうだね」っていてくれるんですけど、実際行動に起こしてみると「いやいや、ウチは自分のところがあるから」ってなってしまったりとかで。それがなんか情熱の差とかもあるのかなとか、いうことを最近ちょっと思ったりはしてます。


仲谷:作り手同士での連絡会、交流っていうのはなかなかできないですよね。それはやっぱり、ほんとそれぞれに自分達のことにいっぱいいっぱいですからね。


榎本:だからパピオとか稽古場が出来た時はすごく嬉しかったんですよね。そこにいけば、他の団体の人達と会えるので、まあ交流とまではいかなくても、挨拶はできるしお互いにあの劇団はまだあるんだねとか一緒にやってるんだねとか、ていうのがわかったりしてたので。その前なんかは稽古場を借りたりとかもしてたんですよね。あの劇団がもっている稽古場をそこがやらない時に貸してくださいとか言って、そういう交流とかも一応やったりとかはしてたんですけど。最近はそういうのも、稽古場が増えた分そういう交流も減ってるのかなって風には思いますね。


柴山:もうそろそろあと10分くらいになるので、せっかく盛り上がってるところなんですけど、どうしますか。客席の皆様、ご質問など、ご意見などある方、いらっしゃいませんか?


佐藤:20代の劇団の方の声が聞きたいなあ。


仲谷:20代でお芝居やってる方。


柴山:なにか、今日のお話などで思ったこととか、聞いてみたいこととかありませんか。


参加者A:やっぱり、昔からやってらっしゃる方々の話を聞くのはすごく興味深かったなーと思うのと、今日一番自分の中に印象に残ったなって言うのは、「覚悟」の話のくだりがすごい良かったなって思って。今自分も、もうすぐ大学を卒業して、で、同じように大学でやってるメンバーと劇団を去年の1月に旗揚げ公演をやったんですよね。で、今自分は学生だから劇団に参加して、やっていくってこともできてるんですけど、今ほんとに就活とか、そういう問題とかにぶち当たっていて、お芝居を続けるべきかと。続けるのは続けたいんですよ、ほんとに、就活してても就職するって魅力って感じなくて、お芝居をこのまま続けていきたいと思ってて、でも、結局それで食べていけないのであれば僕は死んでしまうわけではないですか。ご飯も食べれなくて、ってなると、やっぱりどっかで働かなきゃいけないんじゃないかとか、バイトをしなきゃいけないんじゃないかとか、いろんな問題を考えちゃうんですよね。で、そこで結果として、今考えているのは、やっぱりどこかで働きながらお芝居をやっていく、で、それで食べれるようになってきてお仕事を辞めればいいんじゃないかな、という考えに落ち着いてしあっているんですよね。でも今日話を聞いていると、そんな覚悟じゃ食っていけないぞっていうふうな事を言われている、じゃあ僕はどうすればいいんだろうって。なっちゃってるんですよ。


仲谷:僕が18の頃にどうしようかなーと思って、ついてた師匠に言われたのが、あっさり一言ですね。「就職するな、バイトをするな、芝居をやれ」。もうその一言にもうめろめろになって、自分の根拠のない自信をもって、お芝居の世界に両足を突っ込みました。


佐藤:僕らはその先輩もそうですけどね、結局、道徳者ではいわけですよね、役者で演劇畑で生きている人間は、演劇畑がベストなんですよ。この世の中で。だから、師匠が「お前が迷うようだったら、いいところでお前迷ったな。こっちに来る気があるんだったら、これ(芝居)をやれよ。お前はよくみつけたな、大したもんだ」って思ってるわけですよ。昔は特にね。


仲谷:僕はそう言われて、ある瞬間、できあがってる先生についたんですよね。だから弟子入りしたわけですから、演劇ならやっぱり両足つっこんだ時に、やっぱいい先輩がいる場所に、行ったわけですよね。今の活動だと、横の並びの皆と一緒にやる場合は、主催者にもなんなきゃいけないかもしれないし、よっぽどの才能と、人間としての求心力を持たないと、やっていけない。ただ演劇界に身を置くという意味では、もし勇気を持って、そういうような、自分が心をほだされるような、そんな場所があれば、僕の場合、それがあると信じてしまったので、そこは、はきちがえちゃいけないかなという気がしますね。横並びの中って、やっぱりある一時期は、ある出来上がったものの中にぽんっと身を置いちゃうって期間も必要なのかなと思います。


佐藤:別の言い方をすると、その人はある意味、面倒みてくれたんですよ。そういう先輩がいるっていうこと、先輩っていうか、そういう師匠がいるってこと。で、弟子ってそういうことじゃないですか。師匠がやっぱり私生活も含め、やっぱり面倒みる師匠にも覚悟がいるんですよね、実は。だからそういう人に巡り合うかどうかってことでしょうね。だから僕自身もやっぱりそういうもとで、下の人が来たことあります。だから、親が「諦めさせてください。説得してください」って子ども連れて来たんですね。で、彼は「どうしてもやりたい。」で、お母さんは「なんとか、なんとか辞めさせてください、佐藤さんとこ行くって言ってます。やめさせてください」って言って。で、「でも、この子が将来それで私を怨まれても困るから」と、そのお母さん言うんですね。だから僕がその時言ったのは、「お母さんね、それはもうおかしい。反対した方がいいですよ。反対し続けてください。ただ、僕のところに来るんだったら、飯だけは僕が食わせます。」と言ったことが実はあって。その子は、まあ、今もまだずっと続けている。結局そういう経緯ですけどね、僕は、そういうことが結構自分の中で、重かったりしたことはありますね。ただそういう繋がりがないと、なかなかそうはいかないとは思います。その頃僕はもうバイト禁止とか言ってたんですけどね。


仲谷:あともうひとつ。アウトローみたいな世界だよ、みたいなことを言っておきながらこんなこと言うのも何ですけども。一番最初のファンが、親とか兄弟とか、家族に応援してもらえるような環境を作れない人は、それはどんなにいっぱいの人にも応援してもらえないんで、一番身近にいる人に応援してもらえる環境は、僕は作った方がいいと思いますね。一番の理解者になってもらう。そのハードルってすごく高いんで。親が愛情を持って下されば下さるほど、安全なところを選ぶと思うので、そこを説得できるか。そこをきちんと自分の夢を語って、納得させられるだけのパワーを持てれば、次どんな障害と出会っても、そのパワーでいけると思うんですよ。


柴山:時間もないので、荒巻さん、その流れで何か。


荒巻:僕は役者というあれではないですけども。僕、20代はすごくいい加減な暮らしをしていたので、いわゆるどこにも所属してなくて、なんかこんなことやりはじめて、今に至るんですけど。まあ、20代は一人食うぐらいのことはできますよ。なにやっても。


佐藤:一生懸命やってみたらいいと思うね、一生懸命。


仲谷:稽古場にいたらいんですよ、稽古場とか。アパート借りないで。


荒巻:僕ら、本当に当時。


榎本:やってました、やってました。僕も二ヶ月くらい、他の劇団の稽古場に住んでましたからね。


荒巻:機材倉庫とかですね。


榎本:今、やりやすい状況に、僕らの世代はやりやすい状況にあるコトを認識した上で、上の世代の人たちともっと交流をしていけばいいのかな、ってことだろうと、今日話して僕は思いましたね。


柴山:榎本さんにうまくまとめていただいたのですが。でも本当に、いろんな世代の方の話をうかがうことが、私も本当にすごく面白かったんですけれども、時代の流れも一つ見えましたし、でもこう、想いっていうものは、ね、皆さん共有して持ってらっしゃるなというのもありましたし。そういうのが、多少伝わって、皆さん何か思っていただければよいなと。本日はこれで終わりたいと思います。4人のパネリストの方に大きな拍手をお願いいたします。