観劇ディスカッションブログ

<< April 2011 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

レポート:中濱 博

2011.04.14 Thursday | 第3回

時間堂「廃墟」ワークインプログレス
シアターKASSAI

震災の影響で本来見る予定だった公演から変更して、ワークインプログレスという、通し稽古を見学するという企画に参加をした
照明は劇場の蛍光灯で行われ、本来の効果は得られなかったそうだが、作品の内容的に大きく魅力をそがれるということもなかったそうだ
実際作品の内容は会話を主体とした戦後の時代劇で、派手な音響や照明効果を使用しない類の舞台だった

廃墟という戯曲は、三好十郎が戦後すぐに書いた作品で、50年以上も前の作品である
古典でもなく、最近の有名賞を取った作品でもない、ましてやオリジナルでない戯曲の上演を見るのは新鮮だった
時代的には近いようで現代とはまったく違う状況で書かれた戯曲のはずだったが、現代の我々に十分響く内容だった

なぜ時代を超えて現代人の心に響くのか
演出家、俳優が現代人であるというのはひとつ大きな理由だろうが、これは題材としているテーマが人間の本質的なところから引っ張ってきているからだろうと考えられる

ディスカッションでは空間の使い方や小道具の処理や、言葉使いが話題になったことが印象に残っている
空間の使い方は、袖を作らず、邪魔になりそうな柱をうまく使い、劇場の空間をうまく使った舞台だった
また日常劇だが具体的なセットを組まずに、シンプルなつくりだっただけに、人々のやり取りに集中できた
言葉遣いは戦後の小説の登場人物が使いそうなものだったが、俳優は自分のものにしていて、聴きなれない言葉ばかりであったが、理解はしやすかった
実際演出家の方も気を使った点だと話していた



ゲキバカ「ローヤの休日」
王子小劇場

二日目昼に見た舞台
照明、音響、パフォーマンスをふんだんに使い、三方に客席を配置する舞台だった
よく動き、よく脱ぎ、客席は気持ちよく盛り上がっていた

この芝居の中で気になったのがパフォーマンスの作り方
キャラがそれぞれ立ち、ストーリーがわかり、ダンスや構成で面白くみせる
メインのパフォーマンスは劇中二回繰り返されたが、飽きることなくみることができた

この作り方に関してはディスカッションの中で検討され、おそらくこう作ったのではないかという話はされた
作り方自体はキャラを先に作り、プロットを作り、そこから振り付けをするというものだが
こういった技術的な議論までなされたのはディスカッションの成果であるといえる

またこの作品はパフォーマンスだけでなく、ストーリーでも凝ったつくりがされていた
パフォーマンスでもそれぞれの役が立っていたからだろう、ダンスなどが入っても浮くことはなかった
作品の中でのパフォーマンスの使い方のようなものを学ばせてもらった



パラドックス定数「Nf3 Nf6」
アートコンプレックス・センター

二日目夕方に見た舞台
美術館のような空間で、いす二つ、テーブル一つにチェス板、薄暗い空間で行われた二人劇
客席は部屋の両サイドに設置され、縦長の空間を使用しての芝居だった

設定は複雑に絡み合い、伏線の張り方や設定の結び付け方は脚本にうまく練りこまれていた
これはディスカッション中に気がつかされたが、たとえばこの戯曲で象徴的にも扱われているチェス版
これを中心に数学、戦争、ゲーム、そして過去の話を結び付けていた
ドラマを展開させながら象徴を中心に情報を開示していく手法はとても勉強になった

また、小部屋で実際現在に行われているやり取りと錯覚するような舞台だったが
設定ではナチスのユダヤ人収容所であったが、たった今虐殺から逃れたところから物語は始まり
終わったら理不尽な将校の待つ強制労働所に帰らなければならないといったように
演技だけでなく戯曲にも小部屋の外を想像させる表現がちりばめられていた

作品を見ているだけでは気づけなかった細かいテクニックなど
ディスカッションを通して戯曲における伏線の使い方や意味などを勉強させてもらった



青年団若手公演「バルカン動物園」
?こまばアゴラ劇場

三日目に見た舞台
生物学の研究機関を舞台にした、命を研究する人たちの物語
まさに問題作と言える作品ではないかと考える

登場人物たちは、人間の器官を人工物と差し替えていき、どこまでが人間と呼べるか
また自分の息子を救うために何匹ものサルを研究目的で殺すのは正しいことか、などの議論を、感情論や論理を交えて展開させる
人間と物の境目があいまいになり、不快感を覚える人は多くいたと思う

バルカン動物園は平田オリザさんの同時多発会話劇という形式の劇で
この形式のものは初めて見た
事前に聞いていた印象では、あっちこっちで会話が進行する劇というだけのものだったが、実際見てみると、細かく整理と計算がされていてすんなりと受け入れることができた
聴かせたいところで別展開の会話を重ねて注意を引いているのも、この形式ならではの演出方法であろう、新鮮だった

客入れの段階から舞台上では演技は始まっており、その研究機関の日常を演出していた
いつしか私も、いかにも日常を覗いているかのように錯覚し
劇が終わり、急に俳優が全員席を立ち、礼をしたときには心臓が跳ね上がった

この日常に客を入り込ませているからなお、当たり前のように命を研究している研究者たちに嫌悪感を抱いていたのかもしれない
だがただ嫌悪感を抱かせるための演出ではなく、それ以上にべっとりと伝わってくるものがあったし、ディスカッションツアーで見た演劇の中では一番印象に残っている
好みの問題で、私はこれほどまでに嫌悪感や不快感を演出して印象に残すような舞台は作らないと思うが、手法としては勉強になった
そして、ただ嫌な人間がいるということではなく、繰り広げられる議論の中で発生するイデオロギーが重要であることもわかった

テーマは重く、難しい問題だったが、それだけに一番印象に残った作品だった



まとめ
東京に触れて

たった三日間のディスカッションツアーであったが、とても密度の濃い滞在だった
芝居を見る間隔、人の数、ディスカッションといった要因は当然密度の高まる要因であろうが
人口密度の多い土地の特性として、人と人との距離が近い、ということを感じだ

と言うのも、今回私は鉄道の駅を中心に活動をしていたわけだが、駅にしろ電車内にしろ、常に地方ではあまりない満員状態が続いていた
結果知った顔もそうでない顔も常に接近している状態に置かれる
こうなると心理学的なものか、人間関係というのは近くなるように感じられた
こういう環境にあると人と人が心理的に接近するのも、地方より早いのではないかと考えられる
よって心の距離を埋めるべき時間が短縮され、企画にしろ具体的な話をはじめる地盤が出来上がるのではないかと思う
いわゆるノリがいいという心理状態に置かれるのだろう
これが私の住む大分との違いで、時間の密度を高めているのではないかと思う
もちろんモチベーションの高い賛同者が多いというような要因も大きいのだろうが、こういった印象を実感した

こういったモチベーションやノリは、東京などの都市のようには行くはずもないし、期待してはいけない
土地ごとの時間と言うのはとても大事だし、そこからしか生まれないものもある
やはり、自分の住んでいる土地としっかり会話をし、特性や求めているものを考え、感じて独自の文化を根付かせることが大切だと思った

ディスカッションツアーでは技術的知識や出会いなどとても大事なものもいただいたが
東京という土地でしか感じられないものも少しはもって帰れたのではないかと思う
ぜひ私のように九州に引っ込んでいるような人は参加してみるといいのではないだろうか
とても学ぶことは多かったが、何より楽しかった、お世話になりました


nakahama
  
  
  
  
  
  
  
中濱博(第3回) | comments (894) | trackbacks (0)