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※定員を超える5ユニットの応募があったため、「4人」の演出家としていたところを、「5人」とさせて頂きました。

小松杏里の演出家のためのワークショップ発表公演
各ユニットの紹介
あべさん
(Average≒31)
劇団HoleBrothers 「HORIS★」
(ホリスター)
aiiro 演劇銭団
Do−リンク場
       

ユニット名
劇団HoleBrothers
演出家
幸田真洋(写真)
役者
切口健
萩原あや
わだちよ
大澤鉄平
中茂久也
ひとこと
劇団を立ち上げて8年余り、脚本を書き、演出をやってきた。
しかし、僕の本業は作家だと思っている。演出は、必要に迫られてやってきただけであり、演出家と名乗るのは僭越に過ぎるだろう。
だが、これからも僕は、芝居作りの核―作と演出―に居座り続けたいと目論んでいる。そのためには、演出家といっても差し支えない独自の方法論が必要になってきた。
つまり、演出家になる必要に、迫られているのである。
迫られるから、やる。迫られるから、なる。
なんとも主体性のない動機ではないか。
だが、迫られた時こそ、そのものについて考えるよい機会である。
演出について、演出家について。
今回のワークショップを通して、じっくり考えてみたい。
第1場を読んでのファーストインプレッション 不幸のニオイを感じた。個人個人の情念が、言葉の端々や行間から垣間見えたからだ。その情念は、じめじめべったりとしていて、演歌的である。
今後、関係性の破綻(不幸)に繋がっていく可能性がある。あるいは、もともと5人の関係性は破綻している、と捉えることもできる。その場合、破綻していくのではなく、破綻が顕わになる可能性がある、ということだ。どちらにしろ、不幸なことに変わりはない。不幸のニオイがぷんぷんする。
演出プラン

この台本は、本質的な部分さえ観客に伝わればいいと、僕は考えている。
   
ひとは一人では生きていけない。
だからこそ、他者と関係を持とうとする。が、関係が深まれば深まるほど、それは救いとなると同時にある重さも抱えることになる。
重たいものは、わずらわしい。
登場人物5人は、わずらわしさから解放される新しい関係を欲していたはずだ。
そうしてできあがった5人の集まり。
そこにはわずらわしさ=重さを抱えないためのルールがあった。
匿名であること、つまり、互いを詮索しない(深入りしない)こと。明文化されたものか、暗黙のものであるかはわからないが(それはどちらでも構わない)、ルールがあった。
その中で、わずらわしさから解放された関係―表層的、ある意味スマートな関係とも言える―を、ひと時の安寧を過ごしていたのだろう。
だが、ひとは表層的な関係だけでは満足できない。必ず、深入りしたくなるのが人間であるし、それが人間の業とも言える。

たとえば、身近なところで劇団というものを考えてみよう。
劇団は芝居をつくる集団であるし、人々は芝居をするために集団に参加する。
だが、劇団内での恋愛やそのもつれ、憎しみあいなど日常茶飯事だ。その結果、劇団が崩壊することも珍しくない。
深く傷ついた人々は、新しい劇団を立ち上げ、二の轍を踏まないように暗黙のルールをつくる。ひと時はうまくいくが、結局、ルールは破られ、わずらわしさ=重さを内包していくことになる(必ずしも、というわけではないが、割合的に多い)
劇団に限らず、集団というものを考えていくと、似たような事例に事欠かないだろう。

台本に話を戻すと、ざっと読んだだけで、彼ら5人が泥沼の関係にあることがわかる。現在進行形の関係、すでに終わってしまった関係、これからはじまるであろう関係。
テーブルの上に見えている上半身は、みな、談笑しあっているのに、テーブルの下の下半身は、くんずほぐれつ大変なことになっているようだ。(各登場人物の秘められた関係性は後述する)
わずらわしさから解放されたくて集団を作ったのに、結局わずらわしいことになっている。
それに気付いているからこそ、関係に終止符を打とうとしているのだろう。
悲しい人間の性であるし、不幸な人々だ。

だがしかし、ラストが「ソシアルダンス」で終わるところに意味がある。「ソシアルダンス」とは「社交ダンス」のことだ。つまり、関係に絶望しながらも関係に希望を抱くことこそが、この台本のテーマだ。
関係が深まれば深まるほど、ある重さも抱えることになるが、それは救いにもなる。
ひとは一人では生きていけないのだから。
人間の業を肯定的に見た作品であると、僕は解釈した。

■〈関係に絶望しながらも関係に希望を抱くこと〉を見せていくために

「1」は5人の関係の不穏な空気をにおわせる。
におわせるためには、明らかに不穏ではだめだ。時折、チラチラと見せていくことが必要である。パンチラがエロチシズムを感じさせるように。
そういうわけで、「パンチラ方式」の演出を心がける。

「2」はドロ沼の関係を見せていくために、キーになる台詞は強いアクセントをつける。
基本的にはチラチラと見せていくわけだが、チラと見えたパンツに黒点がついているような演出を心がける。「パンチラ黒点方式」である。
全体的なムードとしては、明るい地あかりがじわじわとフェードアウトして薄暗くなっていくような、だんだんとセンターに絞られていくような空気感を出していきたい。
ページで言うと、11、12のあたりは最深部といった感じで、静かな雰囲気で語られるといいだろう。そして、ダンスで浮上する。

「雰囲気イメージ図」

■登場人物の相関関係(暫定的。役者とのディスカッションで変更あり。ただし、基本=図は変わらない。)

女1−男1 現在進行形
男2−女1 男2>女1 かつて、デートはした(肉体関係はなし)
女2−男3 泥沼進行形
女2−男1 女2>男1 かつて、肉体関係があった。女2は男1が忘れられない。
女1−女2 女2は女1が嫌い。嫉妬。
男3−女1 かつて肉体関係があった
男1−男3 敵対関係。
女2−男2 女2は男2が嫌い。なんとなく。男2は傍観者的立場であるので(下図)

ここで、冒頭の言葉に戻る。
「この台本は、本質的な部分さえ観客に伝わればいいと、僕は考えている。」
男1と男3の敵対関係について考えた時―
台本にあるように、男1は男3について、興味を持って調べている。
これを、たとえば、台本で男2が語るように、男3は本当に殺し屋であって、ここで全員を始末しようと考えている。男3に不審なにおいを感じた男1は事前に下調べをしたと解釈してもいいし、あるいは、過去に女1と関係した男3のことを、現在進行形で女1と関係している男1が嫉妬から調べた、と解釈してもいい。ここで重要なのは、男1が男3に対して何らかの疑念を抱いている、ということであり、それが関係の本質である、ということだ。
逆に言えば、職業などの社会的身分はわりあい、どうでもいい。
女2の「店」が何であるか、といったような問題だ。スナックでもショーパブでも風俗でも構わない。何でもいい。「そういった仕事」=仕事柄、男関係が激しい、くらいに考えておいていいだろう。あるいは、それだって嘘なのかもしれないのだし。重要なのは、女2が誰のことをどう思っているか、という点なのだ。
役者がキャラクターを演じるうえで、何か具体的なもの(職業)などが明確に欲しいというのならば、勝手に考えていい。それによって所作も違ってくるのかもしれないし。だが、そういった表面的なことに溺れて演技がこんがらがっていくことは避けなければいけない。
誰が誰をどう思っているか、この一点が重要であり、僕は、そこさえ伝われば、芝居として成立すると考えているのである。
■本質的な部分を表現するための具体的方法(役者の演技に関して)

本質的な部分を際立たせるためには、表層的な部分、中間的な部分が必要になってくる。
そのために、役者には明確に声のトーン、高低・大きさ・速さを変えていくことを要求する。
また、空気感をつくるために、息使いについても明確にしていく。
間を有効的に使うために、リズムも必要である。
演出的統制のとれた演技を目指すことになるだろう。

 

■テーマ性を明確にするために(音楽に関して)

ラストの音楽は「社交ダンス」のスタンダードナンバーがよいと考えている。

一発で「社交ダンス」を連想させるものだ。ラストがソシアルダンス(社交ダンス)であることに意味があるわけだし、そこが伝わらなければ、観客の思考を促すことができないからだ。

 

 
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